映画「今夜、世界からこの恋が消えても」を見た

タイトルが秀逸。

 

ネタバレはほぼ無しです。CMに書かれてることくらいしか書きません(ように努めます)

 

 

 

こんにちは。こんばんは。おはようございます。

とあるブロガーこと7327Mです。

 

 

 

先日、「今夜、世界からこの恋が消えても」って映画を見た。

2022年7月29日公開の映画を、わざわざ二か月たった9月中頃に見に行った。

 

んまぁ見に行く時期はいつでもいいじゃんね。

 

映画見に行ったときは毎回何かしらグッズを買って帰るんですが、今回は二か月もたってしまっていることもあり、何にもグッズ置かれてなかった泣泣

唯一置かれていたのがマスクホルダー。そりゃ売れ残ってるやつだすわな。

買わなかった。そりゃ使うことなくごみ箱行きだろうからな。

 

 

 

映画以前に、一つの作品として、書店での文庫としては結構見たことはあった。調べてみると、どうも2019年の電撃小説の受賞作品みたい。メディアワークス文庫賞っていうくくりでの受賞。本屋で結構売り出されていた記憶は、確かに、微かに。

 

 

 

 

ちなみにこの電撃小説大賞、2016(H28)には、佐野徹夜著の「君は月夜に光り輝くを輩出しているとのこと。名作ですね。

 

 

 

 

 

 

まぁでも、今回の、「今夜、世界からこの恋が消えても」に関しては、どんな内容なのかは一切知らずに映画を見に行った。告知すらも見ずね。意外とそっちの方が楽しかったりする。

 

映画館行くまで、それから映画で席座った後の女の子との談笑楽しい。

 

映画スタート。

初手から物語の核心が明かされる。

主人公役のヒロイン、マオリちゃんはどうやら、前向性健忘らしい。

何らかの転機となる事態以降、睡眠に伴って一切の記憶を失ってしまう病気。毎朝目が覚めると同時に何にも記憶も無くて「ここどこ」から始まる病気。昨日の記憶が毎日無くなる病気。毎晩、世界から自分の生きた世界が消える病気。

 

ちなみに、事故などにあってから以降の記憶がなくなることを前向性健忘事故以前の記憶が亡くなってしまうことを逆行性健忘というみたい。さらには、記憶障害となる期間は短いけれど、前向性と逆行性どちらも発症して、文字通り何もかも忘れてしまう症状は一過性健忘と呼ばれている。一過性健忘はどれだけ遅くても一日以内に記憶が回復するようだが、先に述べた二つは、戻るとは限らないし、戻らないとも限らない。非常に不安定ですね~~~。まだまだ私の知らない世界だ。

 

 

 

そんな病気を抱えながらの、映画のタイトル、「今夜、世界からこの恋が消えても」

 

 

うわー--切ないなって思った。

どれだけ仲良くしても忘れちゃうんだもの。何を話しても明日には覚えていないんだもの。メモを取って内容を記録しているとはいえ、その時の感情・情動すべて忘れてしまう。

はて、精神的な”成長”たるものは見込めるのか??ブラックボックスでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

でも、タイトルの意味はそんなもんじゃなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

前向性健忘で納得していた自分が馬鹿らしく感じた。

いやまぁ何かあるんやろなとは感じたけど、”とある一言”ですべての意味・設定・状況がひっくり返った。”視点”っていうのかな。物語の見方が、一瞬でストーリーによって捻じ曲げられた。

 

その瞬間、涙した。

いや正確に言うと、その瞬間以降ずっと、何かしら涙した。笑笑

あんなことやこんな些細な事、そして自分では正直意味の解読できなかった言葉でさえも涙した。

私たちの隣に座っていた、やんちゃそうな男子大学生も、前の席の大学生か社会人のカップルも、後ろにいた女性二人組も、そして私のすぐ左隣にいた女の子も。もう会場全体鼻をすする音とな雰囲気が充満していた。

ちなみにその子はマスクをとってすら涙流して拭いてて可愛かった

 

 

 

 

タイトルの核心・本質はそこにあったのか、と。

 

 

 

 

 

しかもそれ以降に泣かせに来るポイント5億個くらい用意してあるし泣泣

まー--じで後半の怒涛の強制号泣ラッシュはだめよ。ありゃだめよ。

コロナの時代において、マスク濡れたらあんまり宜しくないんですから。花粉も引っ付くし。でもなんとなーくマスク外すのも細かにしないといけないし。泣くと思ってなくてティッシュ用意してないし。小さいハンカチだけだし。全面涙が付着してもうてるし。

 

映画の後半は一生しんみりお涙展開なので見に行く方はご注意を。

 

 

 

でも、「書く」っていうことというか、「書く」という作業を題材としているという見方もできるから、こうやって何かしら「書いて」コミュニケーションを図っているブロガーさんとかはまた興味深く見ることが出来ると思う。

「書く」ってのは、物語を作っていくこと。フィクションであろうが、ノンフィクションであろうが、それは一つの世界としての形を織りなし、その中での住人が生きているということ。その世界の創造主のバイアスや趣向・興味によって世界の構造や仕組み、そしてそれの捉え方や見方考え方がいかようにも変わり、変えられ得るということ。結構神聖な作業。

 

 

 

 

しまいにゃエンディングテーマは、ヨルシカの左右盲

右も左も分からなくなるほどに、盲目的な恋をしてしまった者の末路。

家でYouTubeで、普通にええ曲やーと思って聞き流していたものが、まさか映画の影響で最大級の涙腺破壊装置に化けるとは。歌詞もろとも覚えなければという使命感に勝手に駆られるのは己の宿命か。

 

 

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ではでは。

 

 

 

 

読者の皆さんも、タイトルにどんな意味が込められているのか、映画館で是非確認してください!!!

 

 

 

二か月遅れのレビューよ、終幕!!

 

 

7327M