物事を「知っている」ことは、「枠組みが固定されてしまう」ことと同義。

5万年ぶりの二日連続投稿。

 

 

 

こんにちは、こんばんは、おはようございます。

 

とあるブロガーこと7327Mです。

 

 

 

 

今日、ふと気がづいたことがあります。

 

それは、

 

「知っている」ということは必ずしもいい側面ばかりではなく、それによって物事の見方や姿勢が固定化されてしまう

 

ということ。

 

新たな気づきです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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本を買う用事があったので三宮へ足を運んでいたのです。

 

三ノ宮へは電車で行くんですよね。

んで私7327Mがいっつも電車の中でしていることと言えば、、、

そう。お察しの通り、読書です。

スマホゲームやってるやつら全員aho

 

 

 

今日読み進めていった本は、これ。

 

 

 

 

森見登美彦さんの、「ペンギン・ハイウェイ

 

 

 

まだ途中、というか最初の数十ページだけなので感想とかは書けませんが。

少しづつ読んでいきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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この作品との出会いは、塾のバイトの最中でして。

 

小学生の受験のテキストの中に、このお話の一部が、小説の問題文として出てきていたわけです。

 

 

 

一部抜粋ですからもちろん文章の脈絡などはあんまりなくって。

どうやら「僕」が何か研究をしていて、それを「スズキ君」に邪魔されている場面だと。

一応、「僕」と一緒に研究している(らしい)友達と、その「研究所」まで道案内してくれる、やけに親しい女の友達もいるようやってのは分かるんですが。

 

逆に言うと、そんな風なことくらいしか分かりませんでした。

 

「僕」が小学生だってことは確か書かれていたんですよ。

 

でも、「僕」の友達や、「スズキ君」に関しては全然情報がない。んまぁ、友達って言う設定である時点で、おんなじ小学生やってことは想像はつくんですが、どこにも名言はされていない。

また、女友達についてもなぜだか年齢の設定がつかめない。「僕」との関係性が全然つかめない。親しげに話してはいるがどこか他人行儀というか、離れている部分も感じられる。

 

 

 

んでしまいにゃ、「僕」の設定が一番わからない。笑笑

「僕」はいろいろ「研究」しているみたいなんやが・・・

 

小学生で研究って何ぞや。

 

こう思うのは世の摂理でしょう??!!

喋り方もやけに大人っぽいというか、大人の口調をまねしている感じがする。変な奴。

 

 

 

 

問題文から得られる情報、から得られるお話の面白みは、そんなところでした。

 

でもそれはそれで楽しいわけでありまして。

限定的な情報と場面設定からその小説全体の流れや登場人物の人となりを推測するのが楽しいんでございまして。

 

謎に包まれているからこそ、どんな人物なのか、想像しながら、探り当てながら、しかしやっぱり分からないながら、楽しんで作品に親しんでいく。

 

そういう姿勢で読んでみて、”楽しい”と思えていたわけです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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んでこのまえ女の子とのデートの際に古本屋さんにふと立ち寄って、そこでたまたま見つけたんですよ。ペンギン・ハイウェイ。この本を。

運命感じたので買ったんです。古本なので400円。お安い。

 

それを、ようやく今読み始めた。

 

 

 

 

 

したらまぁなんと。

設定がわかるわかる。

 

 

 

そりゃそうや。

途中からじゃなくて最初から読み進めていってるんやから。

 

作者がどんな設定を構想して、そしてそれをどのようにして読者に印象付けようとしているのか。

もちろん私御時の読解力・表現力の知識では一部しかつかめていないのだろうが。

あぁ、こういう人物なんやねってのはよく分かる。

 

 

 

「僕」はどうやら本当に頭が良いらしい小学6年生。

ノートをとってとにかく文字を書いたりスケッチを描いたりで毎日毎日「研究」することを生きがいとしている少年。

ただ、その「研究」という意識や、頭いいからこそのその語り口調・圧倒的な正論を振りかざすさまは、周囲に「なまいき」な印象を与えてしまっている。

 

ほうほう。

 

 

 

「スズキ君」は根っからのいじめっ子。暴力あり、正論大っ嫌い。

だから「僕」とはしばしば対立している。

 

なるほど。

 

 

 

「女の人」は、「僕」がよく話す、近所の美人なお姉さん。おっぱいでかい。

「僕」のことをなまいきだと称する張本人であるが、「僕」にはとても気に入られており、毎週カフェでご飯を食べたりお茶をしたりと、とても良くしてくれているみたい。甲斐甲斐しい、でも真面目で誠実で、明るく歯に衣着せぬ物言いが特徴的な女の人。おっぱいがでかい。

 

ほほー--ん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人物設定が非常によく分かる。

 

”謎”であった部分が少しづつ明らかになってくる。

 

”正解”が見えてくる。

 

 

 

 

 

 

 

 

でもそこでふと立ち止まりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

”正解”って何なんやと。

 

”謎”を自分で想像して補完する楽しみはどこに行ったんやと。

 

”わからない”を”わからない”まま楽しむ自分はどこに行ったんやと。

 

 

 

 

 

でももう遅かった。

”正解”を知ってしまった自分に、もう謎を楽しめる余地はなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皮肉なことです。

 

知識が増えるのは本来良いこと、歓迎すべきことであるはずなのに。

 

知識が増えてしまったせいで、子どもゴコロのままに物事を楽しむことが出来なくなってしまったではないか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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知るってのは、そういう側面も持つものなのか。

 

 

 

自分の枠を、狭めてしまう。

自分の枠が、狭まってしまう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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子どもの頃が一番楽しいと思えるのは、こういうことなんだろうな。

知識が増えてしまったからこそ、自分たちはそれの提示する枠にはめられて、動きづらくなっている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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自分には、夢があります。

夢というか、大切にしている言葉。大切にしたい、態度。

それは、「大人になるからこそ子どもゴコロを忘れずに」「子どものようになりたい」

そんなこと。

 

しがらみから解放されたいんだろうな。

子どものようにのびのびと生きることが出来たらいいな。

 

そんな思い。

そんな大事な考えを、思い出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いつも読んでくださりありがとうございます

 

日々の「気づき」は手帳の自由記述欄にたくさんストックしてあります。

 

皆さんも、何か気付きを得た時は、できればその場でメモを取ってみたください。

一行だけではなく、できれば数行かけて。きっかけと、考えたことを記述して。

 

 

 

 

星やコメントなど本当に励みになります!!

書きたいこと書くだけですが!!忖度はしませんが!!

 

また投稿していこうと思うので、気楽に、気長に、ゆるやかに、応援の程よろしくお願いいたします☆

 

 

 

2400文字を書いて編集するのに約1時間ちょい。

もう少し効率よく、時間を減らして書けないかな。

だらだら書いてしまう自分が悪いんですけど。笑笑

 

 

 

ではでは。

 

 

 

 

7327M