オリンピックを見て思っていること

今日も今日とて、オリンピックを見ながら、ギターを弾いてリハビリしてゲームして勉擁して寝る1日です。

そろそろ友達との遊びとかバイトとかが始まってくるので、そうなっても自分を見失わないよう、自分の時間を充実させていきたいです。

 

 

 

こんにちは、こんばんは、おはようございます✨( ゚Д゚)

 

”そすう”でございます!('ω')

 

 

 

 

 

 

 

オリンピックを見て思うのが、「私にゃ分からないなぁ」ってことと、「こんなスペシャリストたちでも、周りの人に支えられているんやなぁ」ってことです。

 

「私にゃ分からないなぁ」ってのは、やっぱり自分の運動経験や熱中経験の無さからくるものです。

運動は、幼小中高と習い事と部活で剣道部をしていたことと、あとは大学1年終わり~2年途中の半年間、社交ダンスをしていたことくらいです。でもどちらも、全くもって芳しい結果は得られませんでした。筋肉がなかなかつかないみたいです。最近リハビリしてて先生に言われました。悲し。

また、こう言っては自分を否定しているようであまり言いたくないんですが、それらのコミュニティを経て、何か親友を得たりとかはしていないんですよね。「好きこそものの上手なれ」なんか言ったりはしますが、私の場合はやっぱり結果が出せないとあんまり気持ちよくは思えないのです。好きにはなれないです。その負い目というか、乗り気ではない感触が伝わったのか、大きな達成感とか生涯の親友とかが得られませんでした。

 

そんな自分から見たオリンピック、運動の祭典は、なおさら他人ごとになってしまうわけです。普段からスポーツごとに興味の無い理由も同じようなものでしょう。

 

 

 

 

 

自分の得意なものって何なのかって考えたら、やっぱりゲームとか音楽とかになってくるわけですよ。ゲームは単純に上手だと思うのね。マリオワンダーのスペシャルステージだって今のとこ特に大きな壁もなく順調にクリアしています。すごいんだぞ、俺は。音楽は、歌が上手いということでは決してないのですが、上手く見せることが出来ます。表現力ってやつです。魂込めて歌ってるってやつです。それって、上手にできるから、楽しくなって、もっとハマって、また上手になるっていう正のループに入っています。

 

でも私の欠点で、それら以外のことには、ほとんど興味がありません。試したこともあんまりないし、見ることももない。興味や行動の範囲が非常に限定されているわけですね。

 

それのせいで何が起こるのかって言うと、「自分の興味の沸かないことは分からないから、見ても何も言うまい」という日和見主義的な感覚が形成されてしまうことです。

本質が分からないんですよね。野球とか、柔道とか、自分のできないものを見ても。スポーツに限らないことではありますが。

 

これが支障に感じるのは、「何にでも軽く興味を持てる人」「何にでも軽く意見を持てる人」と喋ったときです。自分の知らない分野・領域に関しても、素直に興味を持って、なおかつ自分の思ったことを言うことが出来る。そんな人に対し、ちょっとうらやましく思うと同時に、「いやお前なんも分かってないやん」なんて、自分も分かっていないのに上から目線で思ってしまいます。

 

オリンピックに関しても、家族もそうですし、あるいはスポーツとは全然関係の無いキャスター、あるいは専門家みたいな人がコメントしたりするじゃないですか。そういうのを見て、少し、「お前なんも分かってないやろ」なんて思ってしまうのです。それをスルーするために、いつしかそのコメントすら聞かないようになってしまいましたけどね。でも、思ってしまうのです。

それを、「ちょっとした興味」とか「きっかけ」のようにとらえることもできるのですが、そういった経験が自分自身にない私から見たら、「無駄なもの」に映ってしまうわけですね。100のうち1くらいは、確かに「きっかけ」になって次世代へとつながっていくコメントにはなりますが、100のうち99はただの時間つぶしなわけですね。無駄です。感情がこもっていない建前です。そう見てしまう。

 

 

 

 

 

 

 

でもそんなマイナスなことばかりではなくて。

 

「こんなスペシャリストたちでさえ、周りの人に支えられているんやな」ってのが、このオリンピックを見ていて抱く1番大きな感想です。

敗退してしまった選手のインタビュー、あるいは勝利した人のインタビュー。

傍には必ずコーチがいます。観客席には家族や仲間たちがいます。

そんな中での、「みなさんのおかげです」という発言。

 

これは、その人の人生が本当に詰まっている言葉だなって、なんか感じる。その本気度合いに、少し心動かされる。

 

どんなに「最強」と言われる人であっても、必ずコーチがいます。コーチだけじゃない。筋トレのトレーナーもいるだろうし、メンタル面での先生もいるでしょう。マネージャーなんてものもいるかもしれません。芸能人にはいますしね。

そういう人たちがいなければ、破綻してしまうわけです。いくら技術が最強の人でも、精神の面や生活の面で追いついていけないわけです。自分以外の意見が無くては、いつかは落ちぶれて行ってしまうわけです。

周りの人たちの信頼を勝ち取るために相当な努力もあるわけですが。相当な努力を見せてあげれば、信頼されるという構図も成り立つでしょう。それが、自然と、そして時には意図的に行われている。そうしてできた人間関係で、人生が進んでいく。

明るい側面だけではありますが、とっても素敵なお話だと思いました。

 

こんな私にも、友達でい続けてくれる人、信頼してくれる人、何かとお世話してくれる人は居るんですよね。そういったつながりで人生が作られていくことの大切さが少しわかります。

 

基本的にキレイごとは嫌いなのですが。

オリンピックの、人生をかた選手たちのパワーってもんでしょうか。末恐ろしい。

 

 

 

 

 

 

 

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( ノ ゚ー゚)ノ

 

 

 

 

 

 

 

 

最近マリオワンダーが楽しいそすう