電車待っている間に書いたメモ

考えるのは、好きです。特に、人生に何の役にも立たないようなことを考えるのが好きです。

 

難しい言葉を使うのが好きです。ただし、難しい言葉のままでは分からないので、自分に分かるように、いろんな状況やあるあるな人間心理と関連させるのが好きです。

 

そんな自分は、メモを取ります。メモに書いて、文字面として残さないと、そのまま流れさってしまうような気がするのです。

 

 

 

こんにちは、こんばんは、おはようございます(*^_^*)

 

”そすう”でございますm(__)m

 

 

 

 

 

 

 

 



 

 

 

補足しながら、ちょっと書きます。ちょうど1000字くらい。いいね。

 

 

 

 

 

 

 

 

構造主義=違いを持って、あるものを「良い」とする考え。

ブランドものが高い理由、というか、ブランドそのものが構造主義の現れ。フィニシア。
相対主義と同じ?何が違う?
私は植物について学びたいけど、学び始めが難しい。なぜか。違いを知らないから。どの植物のどの葉っぱをとってみても、同じに思える。例えば、桜の葉っぱ。葉桜になり、もうピンク色も見えなくなり、完全に緑の葉っぱとなってしまったが。緑の葉っぱになった途端、それは桜ではなく、緑の葉っぱになってしまう。違いがわからなくなってしまう。だから、難しい。違いがあるのかどうかすら分からないんだから。まずは違いがあるんだなってことを認識しないと、相対的に考えないと、その物事について考える/知る/学ぶことは出来ない。

 

少なくとも自分は、って話ね。独白です。

 

現代の弊害か。どのものを取ってみても、最低限は備えているために、どれが良いのか分からない。とある友人の、ソニー製のヘッドフォンしか勝たんの話。そすうは、ロジクールのキーボードとか、ゲーミングのヘッドフォンしか眼中にない。それは、「人と少し違うものを持ちたい」「少し違う人間になりたい」という考えの現れでもあるが、それと同時に、違いがある。だから良い。」っていう構造主義に毒された考えなのかもしれない。ウォークマン持ってるのもそうやね。スマホで音楽を聴きたくない。ワイヤレスイヤフォンを持たないのもそう。みんな着けてるから、私はつけたくない。でもスマートではありたい。その結果、ちょっと変な、少し高いものに行き着いたりする。

先日読んだお金に関する本「きみのお金は誰のため」のなかで、「自分のお金の使い方は、その製品や会社を支持するという意思表明につながり、それは今後の社会で何がどうなっていってほしいか/どのようなバリューを育てていきたいかという個人の価値観に通じている」という考えが描かれていた。それに従えば、私が変な風にハイテクなものを持とうとするのは、社会を次のステップに進めようという私の意思の表れなのかもしれない。進めようってわけではないけど、”もう少し冒険してみても良いんじゃない、冒険を許容しても良いんじゃない、失敗を許容しても良いんじゃない”という価値観の現れかもしれない。最低限同じ機能は備えてるんやから。最低限生きることはできるんやから。どんな生き方をしようが、勝手だろう。

 

 

 

 

 

 

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今日は久しぶりに、読者様が2人も増えました!!

本当に、本当に、ありがとうございます!!

とっても励みになります。頑張ろうって思えます。

読者様に感謝です✨

 

また更新します。ほなまた!!

( ノ ゚ー゚)ノ

 

 

 

 

 

 

今日は何もかもにとって最高の天気だったそすう

「きみのお金は誰のため」を読んだ

久しぶりの読書記録です!といっても、本の内容というよりかは、そこから得られたこと中心になってはしまいますが。

 

今年に入ってから本は、11冊読んでいます。

今12冊目。ちょうど1か月3-4冊ペースです。順調ですね。

 

無理のない範囲で、しかしちゃんと読書に時間をかけていきたいと思います。

 

 

 

こんにちは、こんばんは、おはようございます(;´Д`)

 

”そすう”でございます(´艸`*)

 

 

 

 

 

 

 

「きみのお金は誰のため」

(著者:田内学 出版:東洋経済新報社

 

 

 

 

 

 

その名の通り、お金を中心とした、お金の勉強の話です。

 

 

 

 

 

 

 

とはいっても、お金の稼ぎ方とか投資とかを解説するものではなくて、そもそもの、「お金って何??」という部分に焦点を当てて、なかば哲学的に考察していくものになります。

しかしながら、お堅い講義モノとも違ってあくまで”小説”という体で書かれていて、主人公と、もう一人女性の主人公と、あと、お金の本質分かっている陽気で小柄なおじいちゃんの物語形式で話が進んでいきます。それゆえ、よみやすい。。。と思いきや、賛否の分かれるところ笑笑

私は、正直小説チックにしなくてもいいのではと思ってしまいました。父も同じ意見。

 

んまぁなにはともあれ、その内容に関しては、目からうろこ・・・というと突拍子がありすぎてウソになりますが、「そもそもお金って?」という視点は、今まであんまり考えたことはなかったので、とってもタメになる本でした。

 

お金の3原則

1. お金自体には価値がない

2. お金で解決できる問題はない

3. みんなでお金を貯めても意味がない

 

を中心に、おじいちゃんの、お金に対する考えがひとつづつ紐解かれる構成になっています。

 

とてもタメになるので、一読をお勧めします。良い本だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さてさて。

 

 

 

この本を読んで私がずっと考えさせられているのは、「自分は、社会のために、何ができるのだろうか」ということです。

 

おじいちゃんの考えにそのまま影響されてしまっているだけなのですが笑笑

 

お金の本質は、お金を増やすことにある。ただし、社会全体の視点において。

というのがお金の本質だと書かれてあったのです。それに考えさせられている。

 

 

 

私たちはみな、個人個人において、お金が増えるかどうかを気にしてばっかりいます。しかし、お金は社会全体のために使われるべきもの。いや、使われうるもの。

 

いったん個人的な目線から離れて、社会としての、集団としての視点で見ると物事はどうなる??

 

そうのような態度を獲得しました。

 

 

 

今はちょうど就活の時期です。バイトも新しく始めて、今まで続けてきたバイトは、もう中堅~古株の立ち位置に入ってしまいます。そんな自分の状況において考えるべきは、私個人がお金を得られるかどうかではなく、私が、そのバイト先に対して、社会として、どのような成果を持ち出すことが出来るか、という点にあるのです。私がその会社に就職するとして、それが個人の興味以上に、社会に対してどのように善を積み立てられるのか。そんなことを試されるのが社会という場であり、それを見極められてしまうのが、就活という場なのです。

 

少しだけ、面接官側の気持ちが分かったような気がしました。

 

とはいってもいきなりすぐに答えにたどり着けはしないし、社会に益をもたらせるなんてこともありません。

なので自己分析に使いながら、まずは身近な友人に対して、どのような成果を与えられるのか、与えているのかを認識して成長したいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ではでは。

 

 

 

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「社会」という視点に立って物事を考えると・・・

私はまだまだ世に出るべきではないと痛感させられながら笑笑

 

また更新します。ほなまた!!

( ノ ゚ー゚)ノ

 

 

 

 

 

本のベストランキングが少し変動するかもしれないそすう

音楽系のガジェットについて

カッコつけてカッコよく思われたいと思いすぎて「ガジェット」とか言うてしまっていますが、ただの機器紹介です。高いものでも、むっちゃこだわりがあるものでも何でもない。

 

ではなぜ、「音楽系のガジェット」に関する記事を書こうと思ったのか??

 

 

 

長年立っても、未だにその音の良さに引き込まれることがあるからです。

 

 

 

 

こんにちは、こんばんは、おはようございます(/_;)

 

”そすう”でございます(゚Д゚)ノ

 

 

 

 

 

音楽は、スマホでは聞きません。

 

ちょっとしたときとか、新しい曲を仕入れるときには、スマホやパソコンで、YouTube仕入れてくるので、それも大事な生命線ではあるのですが。スマホでは聞きません。

 

理由は2つ

・ギガが気になりすぎて外で聞けない

スマホにつなげるイヤホンを持っていない

 

どっちとも致命的です笑笑

現役大学生とは思えないような理由ですが笑笑

 

ギガは、月3ギガで頑張っているので、音楽で1ギガなんかは使いたくありません。オフラインがいい。

イヤホンは、イヤホンジャックタイプの、有線イヤホンしかもっていないんです!!笑笑

Phoneからイヤホンジャックへの変換プラグも持っていないし、ワイヤレスは買っていません。大学生なのに。

 

 

 

 

じゃぁどうやって音楽聞いているのかというと・・・

 

 

 

まさかのウォークマンです!!

 

 

 

使っているのは、Aシリーズの、一番安いやつ。正確に言うと、NW-A55

 

 

 

 

非対応のものしか使ったことないので使い心地がどうなのかは知りませんが、ネットは非対応です。つまり、音楽アプリから音楽を聴くみたいなことはできません。YouTubeもアマプラもSpotifyも聞けません。

ただひたすらに、楽曲データを、パソコン等のドライブから引っ張って取り込むだけです。んまぁ、昔通りのウォークマンって感じ。

 

何がいいって、完全オフラインなことです!

 

前述のとおり、スマホのギガ数が気になりすぎる私は、もうこれにはまりまくって抜け出せません。余計な機能がないってのは、実はとっても愛着の沸く条件になりえます。無駄な装飾もないし、使い余してしまうこともない。どのボタンのどの機能もすべて自分で把握できる。実は、とっても大事なことなのです。ハイテクな機械ばかりによく分からず頼ってしまっている現代人には多少必要な”隙間”になります。

 

それから、電池持ちがいい。

 

なにせ音楽専用端末なので、全然充電持ちます。私がヘビーほどには使っていないということもありますが、毎日1-2時間は使いながら、数日であれば余裕で持ちます。場合によっては1週間そのままでもつことも。これを買ったのが、3年前と考えると、申し分ありません。

ただし、充電端子は、ウォークマンオリジナルのものなので、専用のケーブルを買わないといけないのが一つ難点。

 

 

 

 

 

 

 

そして何より好きなのが、自分の使っているイヤホンです!

有線イヤホンにはなるので好みは分かれるでしょうが。また、5年前ほどかな~結構前に買ったものをずっと使っているので、最新でも何でもないんですが。

 

自分への自分からのご褒美として、初めて10000円を超えた代物です。思い出深い。

 

 

 

ちょっと背伸びしたものを買おうと思って、2つ迷ったんですよね~

ほんで、友人に「1か2か選んで」ってSMS送って、「2」って返ってきたのでこれを買いました。懐かしい。

 

 

 

 

 

自分の耳がおかしいかもしれませんが、未だに、その音にハッとさせられることがあります。町の音を聞きたくて暫く開放していた片耳を、再びイヤホンにつないだ途端。没頭感が時々えげつないです。一瞬で、深~い音の世界へと旅立たせてくれます。

耳でなっているのではなくて、頭のど真ん中でなっているのでもなくて、じんわりと、熱のように広がっている感覚。”自然”です。自然に聞こえるという意味でもあり、自然音のように気持ちよく響くという意味でも。なんと表現すれば良いのか分かりませんが。

 

 

 

音に驚かされるとき、驚かされたことに驚かされます。

お前、まだできるのか・・・と。

 

 

 

 

 

 

 

 

・・・とここまで書いておいてなんですが、家に帰ってもイヤホンの外箱、見つけられませんでした・・・

家帰って外箱から製品名確認するつもりだったのですが・・・

5年前、高校生だった私の頭に、「外箱を残す」などという選択肢はなかったようです・・・

 

ちょっと、どの製品かまた調べておきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

ワイヤレスイヤホンにあこがれはしますが、こいつが生きている限り、こいつを使い続けようと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それとは別で、ワイヤレスヘッドホン欲しい・・・

Switchのボイチャをヘッドフォンで聞きたい・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

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あっぷでーと

 

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( ノ ゚ー゚)ノ

 

 

 

 

CDじゃなくてオンライン限定配信の曲が多くなってきてちょい寂しいそすう

エロは、本能。

 

 

 


性欲は、本能。
怠けたいのも、本能。
コドモゴコロも、本能。

 

自分が大事にしているのは、コドモゴコロというよりかは、本能??

 

 

 

性欲は、本能以外の何者でも無い。ゆえに、娯楽としてセックスを捉えることができない。コドモゴコロも、本能。なので、それを否定したり慣習に合わせたりする必要は全く感じられない。コドモゴコロのままに生きることで、自分も、周囲もなんやかんや認めてくれる。本能に訴えているから??

 

筋トレが大事やと思うのも、本能。ホルモンの多さや強いものが好き、という自然の原理には抗えない。強いものとは体格に限らず精神的なものでもあるが、精神的な強さも、筋トレを続けることによって、身体と同時に鍛えることができる。故に筋トレは偉大。それほどに本能は絶大。絶対的。

 

 

性欲を、本能以外の何者とも捉えられないのは、本能をあまりに信じ過ぎているからでは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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エロって書くとなんか阿保みたいだから、”性欲”に書き換えた笑笑

 

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アニメを見ながら片手間でブログを書くそすう

勉強とと趣味とゲームは、場所を分けた方がいいのだろうか。

妄想一人暮らしというか、一人暮らしシミュレーションにはまっています。

一人暮らし始めるお金を貯めないといけないのでまだだいぶ先にはなりますが、1年後くらいに、出来ればいいと思っています。

まだその段階です。どこにしようかも決めていません。

 

でも、一人暮らしハンドブックみたいなのだけ、買いました。(ドン)

 

お金をかければ、後戻りはできませんね。

 

 

 

 

こんにちは、こんばんは、おはようございます(*‘∀‘)

 

”そすう”でございます(^<^)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今住んでいる実家では、基本、ひとつしか活動場所はない。

自分の部屋も自分のベッドもなく、子ども部屋というくくりの、10畳ちょいの部屋の人隅にある、2-3畳の部分で全部詰め込んでいます。

本棚。大学の教科書、ノート。勉強机、ギター、モニター、パソコン二つ、Switch。

メインとなる本棚は、2m弱あるのでいろいろ入ります。勉強机は、横100cm×奥行き50cmです。

 

小さいわけではないのですが、何しろ全部詰め込まないといけないので、2-3畳で立ち上がらずにすべてが出来る状態で、このブログも書いています。

勉強しながらラジオも聞ける。Switchも出来る。ギターもできる。読書もできる。

 

そりゃ、集中できるわけないよな笑笑

 

 

 

 

 

勉強を始めようと思った時、机の上のものがありすぎると、まず気が滅入りますし、滅入ったところでギターやSwitchを見てしまったら、やってしまいます。馬鹿ですね。

夜中ちょっとパソコンで作業しようと思っても、「ブルーライト目に悪いからな・・・」なんて今更な理由をつけて、読書をしてしまいます。はい。昨日の私です。

 

 

 

机の上は、すっきりさせた方がいい。

そのために、勉強(仕事)と、趣味と、ゲームは、分けた方がいい。と、思う。

 

 

 

小学校の時のような生活が理想なのですがね。

どうして大人になるにつれ、それが難しくなってしまうのか。

勉強が終わったら、趣味を始める。それが、私の理想の一人暮らしイメージです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ではでは。

 

 

 

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ESを一次書類で早速落とされていくそすう

類型化/統計/レッテル/表面的/対多数→グラデーション

”類型化”が嫌いだ。

 

この学年は、こう。このクラスは、こう。

この地域の人は、こう。

アメリカ人は、日本人は、こう。

 

 

 

ん~~~

”日本人は、大人しい”みたいなのって、分からなくはない。

他の類型化された言葉も、それと似たようなもので、ある程度は本質をついているのかもしれない。

だとしても。

だとしても、違うと思う。

 

大人しい??社会的に見ればそうってだけで、仲良くなれば熱い思い語ってくれるし、何より、ごく一部の”天才””完璧人間””超人”みたいに言われる人以外は、大体みんな総じて同じ程度の人間です。強みと弱みをみんな持ってる。その強みと弱みの種類が異なっているだけ・・・。変わりません。だからこそ完璧超人たちは意味わからんと私は思うのですが・・・

 

 

 

類型化と似たようなものとして、統計/表面的/対多数/レッテルという言葉があげられる。

こういうものに、総じて苦手意識があると感じた。

まとめて言われてしまうこと。自分自身が、とても嫌だ。

 

 

 

”○○人は、こういう性質”みたいな大きな潮流というのは、国単位で、行政単位であるのだろうが、

しかしそういった建前を凌駕するほど、個人の個性や違いというものは大きいと思う。

 

何もかもグラデーション。

 

 

 

 

 

 

不登校は30万人だと、統計データは発表している。

しかしここでいう”不登校”とは、30日以上欠席した児童生徒、というカテゴライズのようで。

30日に満たない、29日とか20日とかの欠席者は、不登校にはならずに、”長期欠席者”に区分され、そのデータには含まれないとのこと。

30日になった瞬間に、消費期限みたいに、もう用済みになってしまうのか。29日まではギリギリセーフで、考えなくてもいいのか。

 

 

 

そんなお話を、今日、聞いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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人間は、自分と似たような考えばかりを目に見て、覚えているものです。

 

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( ノ ゚ー゚)ノ

 

 

 

 

自分自身を戒め続けなければならないそすう

何の根拠もない未来予想

未来予想??というべきか。

 

何の根拠もないことについてつらつらと考えることが好きです。

 

こう言ったら学者には怒られてしまうかもだけど、哲学や心理学が好きなのは、そういう部分があるからなのかもしれない。

 

結局のところ、「人間色々で、分かりあえるなんてことはない」「未来がどうなるかなんて予測できない」もんであるとは思っているのです。

 

 

 

 

こんにちは、こんばんは、おはようございます⊂⌒~⊃。Д。)⊃

 

”そすう”でございます(。-`ω-)

 

 

 

 

 

 

1. ”モノ”がなくなる

最近話題の、ミニマリズム/ミニマリスト

あれの傾向というか、潮流を見てみると、「電子化」や「データ化」というのが一番納得のいく言葉です。

と考えると、将来的には、いろんな情報がデータ化して、現実世界の”モノ”は必要なくなるのでは??

 

 

 

2. 仮想現実の世界。VRの世界。”サマーウォーズ”の世界。

根拠はありません。何年後かは知りません。ですが、確実に来るでしょう。”サマーウォーズ”の世界です。

あらゆるものがネットにつながっている。モノも、交通も、家も、警察も、ネットにつながっている。だから、現実世界と仮想世界の両方の生活を送ることができ、それらが相互に関連しあいながら人生を作る。

現実世界でも、仮想世界でも買い物ができる。仮想世界の中で友達も作れる。仮想世界の中で、自分のありたい姿であることが出来る。これはどっちかというと”竜とそばかすの姫”の世界か。まぁええわ。

 

仮想世界、拡張現実、VR、メタ・バース・・・

なんやか呼び名分からんし、いろいろ混同している自信しかないが、とにかく、来る。

と思う。

仮想通貨やキャッシュレス化、マイナンバーやApple Vision(ホログラム的なイメージ)などは、その最たる先行例であると思う。

 

 

 

そういえば、ポケモンの映画「ミュウツーの逆襲」で夢見たホログラムの世界は、いつやってくるのだろうか。

 

 

 

3. 学校がなくなる

正確に言えば、「子ども全員が通う超巨大組織」がなくなる。

理由は、先ほどと同じ。ネットにつなぐことが出来るから。

誰でもどこでもネットにつなげるなら、子どもは先生なんかいなくたって勉強できる。というか、先生は必要であるけど、それが「学校」という場所にいる「教員免許を持った人」である必要はない。最も分かりやすい例が、親であると思う。親が、教育できるようになると思う。それこそ現実世界で働いていたとしても、仮想世界から子どもを見守ることが出来る。仮想世界にもう一人の自分を作れば、現実では仕事をしながら、仮想空間で勉強を教えることが出来る。あるいはAIでもいいかもやけど。AIを用いた学習の成果は、今現行行われている部分ではあるが、やはり”人の目”のある緊張状態じゃないと人間は学習しないと思う。

 

 

 

4. デジタル格差の超深化

現実と仮想がダブルでばちこんと存在するなら、デジタル格差は今なんかよりももっと広がるのではと思う。

振り返れば、ネットが発達したのは、ついぞ20年前。高い高いデスクトップのクソ重たパソコンから、たったの20年で、スマホにまで発展してきている。この生産・発達のスピードは異常。だって、100年とかならまだ分からなくもないが、現役の働いている世代が、新入社員だったころはまだパソコンだったんやで??

このスピードを考えると、IoT然りApple Vision然りMeta Verse然り。そいつらが今後台頭してくることは余裕で考えられるんじゃないかなと思う。

そしてそれに伴って、時代に追いついていけない敗北者が超スピードで大量に出てくることになる。ただし、その敗北者とは、世の中のほとんどすべての人のこと。追いついていけなくなる。だって、今現状ですら、「ITは頭良い。専門職。分からん」の状態やで??私もだが。

頭打ちにならない限りは、ネット技術は今以上のスピードで発展していく。そして、私が定年退職するまであと40年、個人的には頭打ちになる未来は見えない。あ、主観です。感想です。これって、わたしの感想です。

 

その意味において、教育でデジタルを学んだり個人で学習することが有意義であると思われるが、教育は、それを構成するのがデジタルに疎いおっさん官僚たちである(実際、GIGAスクールは今やった始まったばっか。もう仮想現実に行こうとしてる中で。)し、個人での学習は、何かと、不可能。これは、現実的・物理的な問題でもあるし、個人の感情的・信念的な問題でもある。

そこで勉強する人、出来る人、しない人、出来ない人、するけど難しい人、何となくでも触れてみれる人、全く触れない人という具合で、格差が拡大していくと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ではでは。

 

 

 

 

今日のまとめ

仮想現実によって、モノがなくなり、物理的な制約もなくなる未来が来ると考える。

圧倒的なスピードで進歩する現実に追いついていけるよう、自分自身で学習するか、あるいは変化に対応できるような柔軟な態度が必要不可欠であると思われる。

 

 

 

 

 

 

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こういうことを書く/考えることは、とっても楽しい

 

また更新します。ほなまた!!

( ノ ゚ー゚)ノ

 

 

 

 

仮想現実の勉強の前に、現実現実を何とかしなければならないそすう