「体系的な本や教科書などの知識を、しっかり時間をかけて体系的に学習すること」
やっぱりこれが、私にとって合っている生き方なのかな?というように最近思うようになってきました。
きっかけとして、一番分かりやすくあるのが、最近頑張っているプログラミングの進捗です。学生限定のプログラミング勉強会みたいなのに入っていて、今はそれの教材に従って勉強を進めています。独学とは異なり、担当のメンターがついたり、zoomで他の学生と「どこが難しくて・・・」という話が出来たりで、なかなか面白いし、挫折しそうではありません。やはり良くも悪くも、人の目があること、自分以外の監督者のような存在がいることってのは、大変に重要な意味がありますね。少なくとも、今までの人生を受動的な勉強でこなしてきた私にとっては、「自分の興味のあることを!!!」と主体性に任されるよりも、「この教材をやれ」と言われた方が進むのかもしれません。少し残念ではありますが。でもまぁ、勉強に関して、教材があれば嬉しいってのは結構事実だと思います。出来れば、良い教材があれば良いわね。
また、その中で、「自分って結構頭良いのかな・・・」と思うこともしばしばあります。あるいは、「頭良いと思われるようなオーラがあるんだな」という風にも感じます。実際に頭が良いのかどうかはともかく、出来るだけ頭よくありたいとは素直に思いますし、適当な理解で物事を(プログラミングの実装を)進めようともなかなか思えません。分からないところがあれば、時間をかけてでも、出来れば自分で、全部解決する。それを、淡々とこなしていった結果、その団体の同期の学生の中では、一番進んでいるとは言いませんが、かなり進んでいる方には分類されるようです。また、他の人の質問を見ても、「これはこうなのかな?」「こうじゃないかな?」として、今まで習った事項を踏まえて推測が出来たりします。メンターさんの回答に、ズバリ当たっていることは多いです。なので単純に、「周りの人よりも理解が進んでいる」あるいは単純に「作業にかける時間が多い」という意味で、「頭良い」というようにに分類されるのかな、と分析しています。別に頭悪いとか、それでバカにしたりとかではないですし。「他の人よりも時間をかけて、より深く理解したい!」と息巻いているわけでもございません。ただ、「頭良いと思われたい」という漠然とした欲はあるのだと思う。そんな感じの自己分析です。
もう少し広く見れば、同じようなことが、就活を通じても感じることが多かったということもあります。就活、私は結構楽しかったんですよ。何故なら、私が普段考えていることなどなどを、おじさん達がまぁまぁ興味持って聞いてくれるわけですから。それで、こちらとしてもついでの社会人さんとお話が出来る。普段社会人とおしゃべりしない私にとっては、それだけでも「楽しい」と思える経験ですす(でした)。
んでそのおじさん達から度々言われることはやはり、「頭良い」とか「論理的」とか「話を組み立てるのが上手いね」「頭の回転が速くて、きびきびと話や話題を繋げることが出来る」というような評価でした。これは、自己分析ではなく他己評価なので、なおさら信憑性としても信じて良いのかなと思います。やはり、そうなんです。私が実際に頭良いのか悪いのかはともかくとして、とりあえず「頭良さそう」と思われ、そして実際にそうだと時々思ってもらえるくらいには「頭が良い」のかもしれないのです。他に言うところが無かっただけなのかもしれませんけど(笑)、でも私の要素/属性の一つとして、それは信じて良いと思うんです。
仮に私が「頭良い」人だったとしましょう。頭良いの定義にもよりますが。または「頭良いと思われることが出来る」人だったとしましょう。
だとするならばそれの原点はどこなのか?なぜ「頭良い」なんか??
それは結局、私が受験時代に結構頑張っていたからなのではないだろうか。そこに行きつくのではないだろうか??
頑張っていたと言っても、別にカップラーメンで深夜まで勉強していたわけでは無い。むしろ、淡々と勉強していた方。むしろ情熱なんてものとは懸け離れていたよん。
でもその、毎日淡々と、6時間だか8時間だか10時間だかを勉強していたということそれ自体が、結局今の自分につながっているのではないか??
やはり単純なもので、かけた時間の総量と、繰り返し解いたその回数が、モノを言うのではなかろうか。モノを言っているのではなかろうか。
だとしたらやはり大事にするべきは、「体系的な知識を、時間をかけて、ゆっくりと学習すること」なのではないだろうか?というのが、今日の長い長い日記の到達点になる。
少なくともショート動画で得られるような知識ではないことは確かだ。まァショート動画も、同じような動画を繰り返し見ることで勉強にすることは出来るかもしれないが、少々非効率だわね、純粋に。YouTubeの10分~30分の動画は、少なくとも自分はよく使っている。同じ人の動画を、色々な角度から何度も繰り返し見ることで、同じ意見に対しても、色んな見方を獲得する。知識の収集という意味では悪くないだろう。
でも結局は、自分がどれだけ手を動かして、アウトプット(単純に、ノートに書き写すなど)をしているかってのが、大事なのかな。少なくとも私にとっては、だよ。単純にノートを取って1冊だか2冊だか、数か月かけてびっしり書き連ねたものは、やっぱり自分にとって大事な考え方になるのではなかろうか。逆に言えば、自分の手を動かさずに得られる知識は、結局長い目で見れば自分のモノにはならない。
私が「頭良い」と思われることが出来るのは、受験時代のあの何ページか何冊か分からないノートがあったからこそだろう。
私が大学での勉強につまずいた理由も納得だわね。大学の授業には「問題集」なんかはあまりないし、そもそも私は全くと言っていいほどノートを取っていなかったから。そりゃダメだよ。
また、これからのことを考えてみれば、資格勉強などは、そんな私でも取り組みやすい勉強になるのかなとも思う。教科書が沢山あって、道筋が用意されているからね。
それで得た知識を「アカデミックではない」というのは簡単だけれど。でもその「アカデミックではない」知識ですら得られていない私と、「アカデミックではない」と了承しつつ知識を得ている私、どちらが好きかと言われれば、私は間違いなく後者が好きなんだな。だって私は、「頭が良い」と思われたいんだもの。
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( ノ ゚ー゚)ノ
先日の最終面接の合否連絡が、すぐ明日に控えているそすう