やっぱり、人間の-特に子どもや青年の-SNSの使用に関して、問題意識は大いにあるのだと思う。ちょっと本を読んでいてそう感じた。もっと広く見れば、社会的な問題になるのかなぁ??「合理性」と、それに相対する「感情」という2つの指標の中での人間の葛藤・・・。これが私の、人生のテーマなのだろうと思う。
社会は、徹底的に「合理性」を追求しようとしている。無駄を省き、効率を良くし、出来るだけ生産性を高め、生産性のない遅く作業は「悪」だとされる。されてしまう。
これは、資本主義という最強のシステムの産みだした結果であろうか。少なくとも、社会主義・・・共産主義の掲げる理想像とは異なっているものであろう。
ただ、いかんせん、「合理性」を追求しているようで、全然合理的ではないものがある。それは、愚衆と言われたり、形骸化と言われたり、Dass Mannと言われたりする。。。つまりは、自分で物事を考えることが無く、自分の中ではなくむしろ外に「合理性」を委託して、それを信じて指示することによって自分の合理性を証明しようとする人間の悲しい部分・・・と言いつつ、私にもその気質はもちろんあるのだが。
「政府がそう言っているから」「昔からそうだったから」「みんなそうだから」
こういうのは、合理的なように見えて、実は合理的ではない・・・ような気がする。何故なら、合理性を外部に委託しているからだ。自分の経験や自分の考えから放たれる言葉ではない。。。
ただまァいずれにしても、社会は合理化の方向に進む。デジタル化なんてのも、効率を追求している「合理性」の塊みたいなものだし、情報を多く取り込んで、それを分析して、新しいことを始めるというのも全くもって合理的だと思う。。。
ただ、人間は「合理性」だけでは生きていけない。それが如実に表れているのが、「感情」という言葉に代表される、SNSの類であると考えている。
この合理性に支配されつつある社会の中で、それに対するアンチテーゼと言いますか、それに対する対抗手段としてSNSという武器を、私たちはみんな使っている。いろんな問題がある。経済的なものもあるし、心理的なものもあるし、あらゆる側面が考えられる・・・ってのは、いずれの学問にも塵ほどの知識もない私が言うのはおこがましいな。まァでも、SNSは、「合理性」を追求する社会から逃避して、人々が「感情」に接することの出来る、もう一つの居場所であるってのは、私は結構信じている。
SNSには、社会にはあまり見られない(?)、少なくともテレビを「オールドメディア」と呼ばせてしまう程度には影響力のある情報が、日々発信されている。これは、感情を強く揺さぶるというSNSの仕組みがあってこそであろう。
SNSは、みんなうすうす気がついてるように、無駄なんです。めちゃくちゃ無駄なんです。SNSに使う時間が、どれほど人間の物理的で単純な意味での”時間”を奪っている子とか。私も、こんな感じで、SNSに分類するかどうかは微妙だけれどブログというサービスをカタカタ利用している時点でその類の人間ではある。。。うん、自分はSNSに疎い人間であると自負しているつもりだけれど、でも結局SNSは使っているし、じゃぁ「合理性」を持ち合わせているか?と言われれば、むしろそれは他の人よりも少ないんじゃないかなとすら思ってしまう。
まァ自分の話は良いや。「合理性」を追求する社会と、「感情」を追求するSNS。人間という存在を理解するのに、これほど面白い題材は無いと思うんだよね。
「合理性」は「感情」によって形骸化するし、「感情」は「感情」に過ぎないのに「合理性」を証明しようとするツイートで溢れかえっている(政治的な意見などは大体そうではないかな・・・(-_-;))
例えば、究極に合理的な社会と言えば、私はそれこそ社会主義が実現した「全員労働して、全員に労働の成果が配られる社会」であると、私の少ない知識の中では考えている。が、それは、「労働がめんどくさい」という理由で崩壊する。
また例えば、「○○首相タヒね」「○○えぐい」という痛快なうたい文句は、それが理論や根拠を伴わない感情に過ぎないのに、多くのいいねを獲得し、「私もそう思います」などという凡庸なコメントで溢れかえってしまう。本当にそう思っているのか?
結局のところ「どちらかに統一しよう」なんて不可能であるし、それを上手く保存しつつ生きていかなければならないのだけれど、でもそれをどうしてもうまく出来ないのが人間という存在でありまして。私はその「無駄」な営みの中に、逆にめちゃくちゃ人間性というものを感じるし、人間について考えるときの本質に通じる部分が隠れていると思う。
人間はおろかなんだよ!!!私も含めてね!!!
「合理性」なのか「感情」なのか。。。それを上手いこと利用するべきなのに、全然利用できていない。どっちともを曖昧にして、楽に生きようと思ってしまっている。私も含めてね。
でもだからこそ、それを徹底的に自覚しつつ、意識しつつ、「合理性」と「感情」をどちあらも重要視して、結局は何だろうなァ、併せ持ったものは「真理」とかになっちゃうのか??そういうものを探し続けていきたいと思う。
ほんでそれを探す方法は、色々ある。何でもいい。人と関わって、自分で考えてさえいれば、何でもいい。
ただ、私に得意な方法とかやりやすい方法とかはあるだろうから、まずは先人の考えを本を通じて勉強したり、友達と色々人生観?恋愛観?とかを話してみたり。あとはこうやって、自分で自分の考えを文字にしてみたり。そして、「合理性の社会と感情のSNS」という視点で物事を考えてみたり。。。
そういうことを通じて、・・・「真理を発見する」なんてことはあんまり興味ないからなァ。何がゴールなのだろうか。よく分からんけど。自分がしっかりと考えて生きていける人生を、暮らしていきたいと考える。
そのためのヒントというか、考えるきっかけとして、合理性の社会と感情のSNSってのは、私にとっては大変に意味のあるテーマになっている。