今日は朝からゼミ、授業、そしてそのままバイトと、何かと大学生していました。
いかにも大学生って感じですね、本当に。ポケポケの話で盛り上がりましたし。いかにもいかにも。
ちょこっとだけ大学生っぽくない点としては、暇になるたんびにルービックキューブを動かしていることくらいでしょうか。
でも、変なことをしたがるのも、これまた大学生っぽいのかもしれません。
というわけで、大学生の大学生による大学生のためのブログ、はっじまっるよ~
こんにちは、こんばんは、おはようございます✨( ̄д ̄)
”そすう”でございます!(。◕ˇдˇ◕。)/
私には一つ大きく、”大学生っぽくないところ”がある。それは、Twitterやインスタを全然活用していないという事。Twitterは、前作った自分のアカウントが、半年放置した挙句パスワードとか分からなくなってどこかへ消えてしまって、今はこのブログ”無駄の美学”宣伝用のアカウントだけしか持っていないという状況。そのアカウントも、3-4日に一回動かしている程度。毎日阿保みたいにTwitterを見るような、そんな気質ではなさそう。世間で何が起こっているとか、あるいは友達がどうんなことをしているのかは、どうでも良いのかも知れない。
インスタは、ちゃんとアカウント作ってはいるし、動かしてもいる。毎日ちゃんとアプリ開いてはいるね。でも、これ自慢なんだけど、インスタ開いて、皆ストーリー挙げてるなーーーって上の丸だけ見て、それだけでアプリを閉じちゃうの。何が言いたいかって、ストーリーの中身を一切見ていないの!笑笑
誰が何をしているとかは一切見ずに、「おっ、更新したな」って、上の縁に赤丸や緑丸がついている状態だけを確認して、閉じるの笑笑
おかしいでしょ。
自分で投稿はするのよ。1か月に2-3回くらいストーリー投稿はするし、なんなら最近は「30日間チャレンジ」と題してルービックキューブの動画を毎日あげている。全然動かしている。
でも、人のは、見ては、いない。
恐ろしいことね。
インスタの機能の一つに、「親しい友達」という機能がある。
これはさっき言ったストーリーに関することなんだけど、まぁ要するに、自分の投稿に対して、公開する範囲を指定できるという機能。
フォロワーが100人いたとしても、その100人全員が同じコミュニティなわけではないじゃん。男友達女友達、小学校の友達、中高の友達、大学の友達。部活の友達、腐れ縁。なんでもありじゃん。「大学の友達で飲み会したよ!」ってストーリーをあげるときに、面倒な事態を減らすためか、あるいは感覚的に気持ち悪いかよく分からないんだけれど、全員に対してその投稿をするのではなく、大学の友達に限定して投稿を公開することが出来る。
それが、「親しい友達」機能。
・・・ってのは名目でさ。
実際私の周りの大学生のみんなが「親しい友達」をどう使っているかって言うと、「あいつには見られたくないからハブろう」という理由からそれを使うことが多いっぽいのね。
恋愛関係で愚痴を言う投稿は、女の子には見られたくないから男友達だけの限定公開にしようとか。あいつはそんな仲良くないから、「飲みに行きました!楽しかった!ありがとう!」って投稿は見せないようにしようとか。
そういう理由で使っていることが多い。多分。知らんけど。ってか、多分考え過ぎだけど。
もちろん、親切心ではあるでしょう。
確かに、「中学校の友達と会ったよ!」って投稿を大学の友達がしていても、こちらとしては丁重にスルーするだけだから。その、「スルーする」って作業を、向こうがあらかじめパスさせてくれているともいえる。
でもそういったメリット以上に、「あいつには見せたくない」「仲いい間柄だけでいいや、あいつはそこまで仲良くないし。」みたいなマイナスな方に、私は、どうしても、捉気がとられてしまうの。
もし周りの人が私のことを親しい友達リストに入れてくれているのだとしたら、それはそれで嬉しい。一定のライン以上の友達として認定はしてくれているってことだもん。その相手にとって特別になれているということのあかしだから。
でも、私は、私自身としては、そういう風に人を区別したくはない。
「あいつは仲いいけど、あいつはそうでもない」ってのは、あるにはあるけど、それをわざわざ「親しい友達」という目に見える形にして、時には話題に持ち出すことが出来るような形で、他の人に表明したくはない。
よく言えば、「みんな平等に」という言葉で。悪く言えば、「全員にひた隠しにして」という言葉で。そのように私は、友達と接していきたい。
私が人の投稿を見なくなった理由の一つに、それもあるのよ。
「あ、親しい友達に入れてくれてる!嬉しい!」って思うのと同時にさ、じゃぁそこには、親しい友達に入れてもらえなかった誰かがいるだろうってわけじゃん。あるいは、よく分からないけど、別の「親しい友達リスト」には、私は入っていないかもしれないわけじゃん。大学の友達としては認定されているけれど、卒業後も一緒に居たいソウルメイト、には認定されてないかもしれないじゃん。そういうことを考えてしまうことが、嫌になった。自分が入っているかどうかを気にするのも面倒だし、もちろんそんなんだから、自分が誰かを「親しい友達リスト」に入れるかどうか、その友達の顔を思い浮かべて判断するなんて、考えただけで胸糞が悪くなってしまうんだよな。
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で??
って感じの文章になったな!笑笑
書きたくなったのよ。こういうことを。
「誰かにとっての特別でありたい」ってのは、私の中で結構強い願望ではあるのだけれど。
いざ「特別だよ!」って表明されたら、それはそれでなんだか考えさせられる。
しかも、自分自身が誰かを「特別だよ!」って”認定する”のって、思えば殆どしてきていないな~~~なんて思ったの。
自分が「特別だよ!」って相手に言ってあげられないのに、相手からは「特別だよ!」って言ってもらいたいなんて、とんだ傲慢野郎ではないか??
何故だか今日は、そんなことを考えているんだよなぁ
また更新します。ほなまた!!
( ノ ゚ー゚)ノ
でも誰かにとっての特別では、確かにありたいそすう