大学の講義を受けていて、ふと思ったことなのです。
この内容を、まさに大学の教養(経済学)の授業を受けている間に書いているという恐怖。
教授に見られたら、たまったもんじゃありませんねぇ
こんにちは、こんばんは、おはようございます🏫
”そすう”でございます👟
大学の授業に、意味はあるのか??
高校を卒業した半分以上の人が大学へ進めるようになった今、度々問われる質問である。なんもやりたいこととか無いのに、大学に行って学んで何を得られるのか??遊ぶために大学に行っていいのか??大学は、学ぶ場所ではないのか??
そすう視点でいうと、大学は、学ぶための場、ではない。
大学は、友人を作る場であると考える。
学ぶ、というのであれば、それを言うには学生側に学ぶ努力と言うか、性根があまりにも足りない。学ぶと言うのであれば、少なくともバイトをしている暇などはない。バイトの時間など無駄で、ちゃんと学問に真面目に向き合って、しかもその状態を数か月続けなければ「学びを得た」とはとても言えないと思う。
これは、自分の浪人時代の経験からくる持論です。批判はいくらでも歓迎です。
浪人時代には、一年間みっちり勉強したけど、しかしそれでも「学んだ!」と言えることは少ない。良い教授に出会った。良い友人に出会った。その考えや勉強方法、生き方、人生哲学をまねした、吸収した。それが、予備校時代の一番の収穫です。勉強や学問に対して、自分が成長できたかと言えば、全然そうは言えない。
それを踏まえたうえで。
今の大学の講義を見てみると。。。
とてもじゃないが、大学に「学びに来ている」とは言えないし、講義を受けて「学びを得た」とは言えない。
自分の学部は、もろ文系の学部で、教育系のところ。
教育という点に関して言えば、確かに知識は増えたけど、しかし学問として、「教育学」に何か思うところがあったり思い入れがあったりするかと言われれば、そんなことは決してない。目に見える形での変化がない。考え方とかは、変わってはいるのだけれど、根本から教育学に根差す考え方ができるかと言われれば、そんなことは全くない。
理系であれば、まだもっと専門的な知識とか、大学でしか学ばないような用語とかパソコンのアプリとかを扱うのであろう。そうであれば、まだ少し、マシには思えるのかもしれない。
いずれにしろ、「学んだとは言えない」と思っているのであろうが。
もっと言うと、大学で学ぶ教養の授業なんざ、なおさらである。
専門の授業よりも、さらに期間が短い。半年あるいは四半期、15週または8週。授業時間数でいうところの23時間または12時間。
こちとら、受験勉強で一年間、同じ教科を勉強したのに、それでもセンター(共通テスト)80%が関の山ですぞ??一年間、毎日やっていたわけでは決してないけれども、10時間や20時間はおろか、結局100時間以上はどんな科目でも勉強したはず。にも拘らず、テストでも取れないし、その学問の基礎部分にすら躓いてしまうのですぞ??
それを何故、大学の10-20時間の授業だけで理解・把握できるとでも??
学問に興味を持つきっかけとして機能したり、その学問になんとなく関わる言葉をうっすらと把握することは出来るだろう。
しかし、そうなること自体も稀ですし、そうなったとて、やっぱりそれ以上の知識にはならない。学問としての深みは全く理解できないし、表面的な知識だけを吸収して、しかしその本質には全く持ってかすりもしないと思う。
はて、大学で学問の授業を行う意味とは??
何でも覚えることのできる東大肌か、あるいはごくごくごくごく稀にいる、学問に目覚める人を発掘する以外の機能はないと思う。
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広く浅くとも、学問全般に通じることは大事なこと。
ただ、大学で授業として学ぶ必要は、無いと思う。。。という意見。
個人で勉強すればいいじゃんね。
その環境がそろっているのが大学だ!と言うのかもしれないが、
「学ぶから環境が必要」というのと、「環境があるから学ぶ」というのは、内面的動機付けとしてあまりにも違いがあるのではないかと思う。
また更新します。ほなまた!!
( ノ ゚ー゚)ノ
経済学が分からな過ぎて卑屈になるそすう