フェアな恋愛、対等な恋愛を、私は重要視しているのかもしれない。
まだ全然言語化とか区別とか出来ていないのだけれど、、、
簡単な例で言えば、「失恋して悲しんでいる状態の女の子をオトシテやろう」という考えを、非常に嫌っている。気持ちは分かるけど、ちゃんと軽蔑していると感じる。
また逆に、「恋愛したいしたい!とハイになっている相手をオトシテやろう」という考えも同様である。
あるいは、フラットな恋愛と言えるかもしれない。
マイナスになっていたり、あるいはハイになっていたりする状態では、恋愛とか、人間関係を築くのは難しいと感じる。築けたとしても、一時的なものだということを経験している。「最高の友達だ!」なんてずっと言っていた仲間だって、結局その場限りであった。だから適度な距離を取るようになってしまった。見せ方とか築き方が変わった。獲得してきた。
「自然体」「ありのまま」ってやつさ。
0が1になる瞬間が、人生で一番面白い瞬間なの。最初から1が入っていたり、あるいは0になって完全にスイッチを切っているのも、また違う。0でも、多少なりともあがこうとしている。そんな姿が一番カッコいいと思うの。一番好きだと思うの。だから自分もそうなりたいし、相手にも、あるいはそれを強要してしまえるのだろう。
1から2も、相当に難しいのは分かる。自分はそれを諦めてしまっているのかな。0を1に出来れば、それで満足だなんて思ってしまう。10にするまでには、努力じゃなくて、ひたすら時間と継続がキーであると、私の人生経験は言っている。正しいよね。でもそこには努力が含まれていないから、相手から見たら熱烈には見えない。実際熱烈ではない。
だから、飽きられる。
1まで獲得して盛り上がって、そっからさらに高めていこうという熱意が感じられないから。もし一緒に楽しみたいなら、1を感じることで「幸せだ!」と思えるように、閾値を下げなければならない。私は、大丈夫なのだ。1で十分に幸せを感じられる。でも、周りの人はやっぱりそうではないのだろう。ちゃんと1からも階段を上ろうとしている。
その領域は、私にとっては本当に分からない不可知のもの。想像、、、も難しい。死にたくなるほど恋焦がれたり、全部を捨ててまで一緒に居たいと思ったり。
自分が1の段階に居るのに、相手はもっと高い段階にいる。それは、フェアじゃないだろう??
自分は何度でも0から1を感じたいと思うのに、相手はさらに登って行こうとする。やっぱり、フェアじゃないだろう??