今日気付いたことを、言葉にしてまとめてみます。
こんにちは、こんばんは、おはようございます┗|`O′|┛
”そすう”でございます(。・・)ノ
自分で自分を分析することは、人生において非常に重要なこと。
自分とはどのような人間であるのか。どのような性質を持つのか。得意・不得意があるのか。それを、どのように生かせるのか。
また、そうなった原因は何か。他の要因と連なってはいないか。他の人はどうか。親友はどうか。世間はどうか。世界的な風潮はどうか。自分が子どもの頃に受けた教育はどうか。何と何が繋がっているのか。
私は、物事を軽く浅く考える傾向にある。
単位を落とすこと。提出が遅れること。自分の将来の事。自分という存在の事。
相手に対しても同様で、相手のことを真に思いやれているかというと、軽くしか捉えることができていない。相手の情報は、基本どうでも良い。よく言えば、短所を短所と思わず個性と本気で思って接することができる。悪く言えば、相手の本質を捉えられず、捉えようともせず、「適当でええやろ」と思いながら接している。
しかし同時に、「深く考えすぎ」ともよく言われる。
何故か。
もともとは、深く考えてしまうタイプの人間であったからである。
んまぁありていに言ってしまえば、「良い子ちゃん」「優等生」
良い子ちゃんらしく、優等生らしく、何をするにも慎重で、考えて、発言に気を付けながら、周囲の状況や顔色をうかがいながら、自分よりも他人の考えに寧ろ同意しながら、生きていた。
小学校のころからいじられキャラであった(友人総同意)ため、「おもんないやつ」の類ではなかったのだろうけど、
ぱっと物事ををやってのけるか、慎重に進めるかでいえば、間違いなく後者であった。慎重というか、陰湿というか、根暗というか。
しかし、優等生真面目ちゃんで、物事を深く考えてきて来たそすうの身に、中3のころ。一つの事件が起こる。
小学校のころからの大親友に嫌われたのだ。
小学校は同じではなかったが、通っていた塾が同じであって、クラスも一緒になることが多かった。そしてそのまま同じ中高一貫校へ入学し、そこでもまたズブズブと関係を深めていった。もう間違いなく一番の親友と言える存在。
そんな友人に、嫌われてしまった。
原因は、自分にある。
遊びの待ち合わせの時間に遅れてしまったのだ。
思えばこのころから社会不適合者・遅刻魔の片鱗が見られ始めたが、とにかく、映画の予定に、2-3時間遅刻してしまった。
いや、遅刻してしまったことはまだ良い。
それ自体よりもむしろ、遅刻に対して、友人にメールで謝罪メールを送ったのだが、どうもその内容がまずかったようなのだ。
一言でいうと、重すぎた。
「ごめんなさい、遅れました」
で済む内容を、なんか10行くらいのメールの本文で送っていたらしい。
内容は、これは不思議なことに、全く持って一ミリも覚えていない。ショッキング過ぎて記憶を消去してしまったのではないかと疑っている。
しかしまぁ、自分にとってはそれほど根詰めて思い悩んだりしていたわけではないにもかかわらず、事実として10行の謝罪メールを送り、しかもそれを特に何とも思っていなかった。素直な「ごめん」の気持ちを表しただけなのだ。本当に。
それを友人にとがめられて、無視されて、悲しい思いをした。
親友とはいざこざはあったものの、結局仲直りすることは出来た。ちなみに大学3回生になった今でも、「一番の親友」と呼べる人間である。
しかし、仲直りする過程で、自分の中で、意識が変わった。
「重くならないようにしなければ」
そんなことを、初めて思うようになった。メタ認知やね。
本当にそんなことを考えたのかどうかは、正直分からないが、
事実として、高校に入ると、いじられキャラがより一層輝きを増し、周囲からも、「ほんのかるーい気持ちでいじれるやつ」という認識が固まってしまった。
「何でもいい」と思えるようになってしまった。
あれこれ考えるよりも、軽い言葉と、軽い行動で示してしまうようになった。
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意外と長くなったので、一旦ここらで打ち切りにしようかな。
また更新します。ほなまた!!
( ノ ゚ー゚)ノ
自分の人生を、仮説を立てながら振り返っていくそすう