今日は、ひさびさに、死ぬことについて考えた。
というより、今かな。
死ぬことについて考えている。
概念としての死ではなく、実体としての死。
死ぬ理由。死んだあと。死んでしまったら周りの人達はどう思うだろうか
結局のところ死ぬことは出来ないでいるのだけれど、
思うのは、自由ですよね。
こうやって言葉にしてみないと他の人達は一切分からないわけですし。
そんなどす黒い感情なんか、想定していないのももちろん、実体として考えられる、ということが理解できないでしょう。
日々、そうやって、生きる。
誰にでも、自分の踏み込まれたくない領域と言うか、これをどうこうされたら困る、っていう領域があると思うんです。
物かも知れないし、精神的な何かかも知れない。
これだけは許せなくて、もしされてしまったら、相手に、世界に、絶望しながら、自分の世界も真っ暗になってしまうようなもの。
大げさに言うと、ですけどね。
けどまぁ、意外なことが、そんな穴に引っかかったりする。
その時の衝撃は凄いもんですわな。
あの時の衝撃は、凄いもんでしたな。
それに絶望しているさなか、さらに追い打ちがやってきました。
家族の、ーーー死ぬことなんか全く頭に出てくる余地のない、幸せで、最高の家族のーーー「まともになりなさい」という返答。
いや実際に言われたわけではないけど、
そーゆーのは、言葉の節々でわかるものです。
「まともになれ」「ちゃんと生きろ」「しっかりしろ」「迷惑をかけるな」
その言葉がそれほど重荷になるでしょう。
その感情が、どれほど重荷になるでしょう。
「そうだな、しっかりしないとな」
とはならないのです。私のような人間は。死ぬことをまともに考えられるような人間は。まともをまともと思えない、いや、思っていても行動できないような人間は。
死んだら、誰が泣いてくれるでしょう。
未遂に終わって、入院をしていたら、誰が駆けつけてくれるでしょう。
家族は、駆けつけてくれるでしょう。怒るでしょう。悲しむでしょう。本気で心配して、愛してくれるでしょう。そして言うのでしょう。「まともになりなさい」と。
友人は、どうだろうな。分からん。どっちかと言うと広く浅くタイプで、付き合う必要性があれば付き合うけど、そうでなければ何も連絡とらないっていう、男に見られがちなドライな関係性だから。一度は来てほしいけどな。そこでの会話が楽しかったら、もう一度来てほしい。楽しくなかったら、義務感で来られるのも逆に非常に”嫌”だから、来ないでほしい。一年に一回くらい、連絡してもらえるくらいで良い。なんなら連絡なくて、元気になって遊びの機会があれば、偶に遊びに誘う、くらいが一番良い。
悲観・・・でも淡泊でもない。
自分は、本当に意味で人を好きになる/愛することは出来ない。
一番近くにいる家族のことは、知れば知るほど、自分が「まとも」じゃないと痛感させられて、、、違う世界の住人だと思ってしまう。だから、息苦しくなる。時々ね。ホントに時々。ダメになった時、安らぐことはあまり出来ない。
知れば知るほど、遠くなる。
ダメじゃん。
一人暮らししたい。
一生をかけて学べることだけ、今学んでいたい。
一度でいいから、一人を本気で愛してみて、同じ世界で生きようと思いたい。
今日の内容は、「社会不適合者の会」が一番しっくりくるかな!!笑笑
今そすうの心の中は、穴が開いたようにぽっかりです。吐き出しました!
[11月の目標:YouTubeは、フェルミ漫画大学だけ見る]
今日のYouTube履歴
ギターの練習は、投資なので無駄時間ではない。1時間のギター練習だけ。
フェルミ様様です。フェルミだけで何時間でも見れますね(おい)
ではでは
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心の中は、ぽっかりです
また更新します。ほなまた!!
( ノ ゚ー゚)ノ
本気で一人暮らし構想を始めるそすう