「今日の昼ごはん、何食べたい??」
母が私に尋ねた。
私は、黙っている。というより、何か口に出すことが出来ないでいる。
何故なら、頭が真っ白だから。食べたいものなど一切思い浮かばない。好きな食べ物は思い浮かぶけど、今食べたい食べ物は思い浮かばない。というか私一人であれば、そもそも昼ご飯は食べないであろう。食べるという選択肢すら、疑問に感じている。
私は、何を食べたいのだろうか。
こんにちは、こんばんは、おはようございます✨(一一")
”そすう”でございます!(´・ω・)
「今」、自分が何をしたいのか。
極論言えば、全部したい。遊びも趣味も勉強も、友人関係も海外旅行もオタク極めるのも、全部やりたい。でも、多分出来ない。物理的な制約と、お金と、時間の問題で。
じゃぁどうするのか。私は、何もしないという選択肢を取る。
「将来、プログラミングをしていたい」
「お金のことをちゃんと考えられる人間になりたい」
「ラジオが欲しい」
「勉強を頑張りたい」
「いろんな本を読んでいる人間になりたい」
全て、「将来」自分がどうありたいかという夢のような願望である。そう、願望に過ぎない。自分が「今」何をしたいかと言われれば、結局分からない。だから毎日どう生きればいいのか悩んでいる。
理屈で言えば、「将来の夢やなりたい像があるなら、そこから逆算して、スモールステップに分割して毎日少しづつやっていけばいいじゃないか」となる。そりゃそうだ。うん、そりゃそうだ。勉強コツコツやったり、本をちょびちょび読んだりすればよい。
実際、やっていないことはない。毎日やっているかと言われればやっていないけど勉強時間は増えているし、本を読む量も1冊ずつ増えてはいる。
でもそれは、「やりたいこと」というよりは、「やっていること」あるいは「やらなければならないこと」の領域であるように思う。
本を読むのは、「やりたいこと」というよりかは、もう惰性でダラダラと続けていること。まずもってそこに何か目標や達成感や重要な意味なんぞはない。言えば、プライドがあるのみ。好き、というよりかは、いつもやっているというのみ。勉強は、更に「やらなければならないこと」に近い。好きとも、プライドともなく、将来的に必要になることが分かっているから頑張っているだけ。でも、こちらも計画性やら目標やら、そして対外的に何か自慢できるようなものはありはしない。
趣味と言えるものは総じて、「やりたいこと」なぞではない。「やっていること」に過ぎない。
子どもの頃を思い出す。
子どものころは、「やりたいこと」という概念はあっただろうか??
「今日何食べたい??」と聞かれたら、何と答えていただろうか。「食べたいもの」などなく、ただ「好きなもの」を答えていたのだろうか。そして、「好きなもの」しか答えられない自分を特に悔いることもなく、また自分の「好きなこと」をやり始めていたのだろうか。
今日は栄養バランスのことを考えて、「野菜たっぷりのお肉で」とオーダーした。
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清野菜名(羌瘣)可愛い
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( ノ ゚ー゚)ノ
子どものころを何事につけて思い出すそすう