日記+「人は一人では生きていけない」ということ

今日は少し遅くなってしまったので、日記みたく手短にまとめようかな。

 

 

 

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って書く前は思ってたんですけど、実際かいてみたら相変わらず長いですわ笑笑

p.s.

 

 

 

 

こんにちは、こんばんは、おはようございます✨(^-^)

 

”そすう”でございます!(-_-)

 

 

 

 

 

 

今日、髪を切りに行きました!

 

入院してリハビリして、何やかんやで2.3か月くらいは髪切ってなかったからね。

人生最長とまではいかないけれど、大分無精に伸びてしまっていました。

行けないものはいけないからしゃーないね。

 

てなわけで、髪をすっきりさせてkました。

初めてのパーマをかけました!

もともとむちゃくちゃクセが強い髪で、濡らしたら自然にウェーブを描くようなうねり髪だったのですが、そこにさらにパーマをかけました。若干のクセは残りつつも、髪の毛が束でスパイラルをまくような髪型です。

 

結構似合っていたのでうれしかった(#^^#)

 

ただまぁちゃんとセットしないと、逆にたわしみたいな髪形になってしまうので、そこは要練習ですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

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最近ずっと頭の中を反芻する言葉があります。

それは、「人は一人では生きていけない」ということです。

「独り」の方が近いですかね。

 

完全なる独学は、なかなか難しいという意味です。最近少し思ってしまいました。

 

勉強やその他人生を充実させうる行動には、必要なものがあります。人です。そしてもっと言えば、「指導者」または「一緒に共有できる友人」です。

「指導者」がいれば、もう小学校のように、習い事のように、それをマネすることが出来る。だけではなくて、指導者自身の人間性とか、人生への姿勢とかをも学ぶことが出来る。結局これがイチバンいい学び方だと思います。

「一緒の共有できる友人」がいれば、いつのまにか、それをすることが楽しくなります。そう思わせてくれます。また、偶にお互いアドバイスを与えあったりして、「一緒に共有」していることを認識させてくれます。コミュニティだと思えるような空間を提供してくれます。

 

小中高では、先生と、クラスメートがいました。

大学では、尊敬できる教授と、質の高い友人がいます。

会社では、、、知らんけど、先輩と同僚がいます。

 

これがネットとかだと、「インフルエンサー」とか「フォロワー」になったりするのかもしれませんが、正直完全な代わりにはなれないと思います。人間性を見ることが出来ないから。共有することはできますが、そこに楽しみを見出すことは、感情を動かされるほどの個人的な関わりが無い限り、難しいです。感情を動かされる個人的な関わりがあれば話は別ですが、それに敷居は少し高めに見積もっておかないといけません。誰でも発信できる時代になって、そこかしこに専門家がいますからね。

 

そういう意味で、「人は一人では生きていけない」

 

 

 

 

 

 

 

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ふと思い出した、少し嫌な思い出を一つ。

 

「効率化」が嫌いになった話です。

 

 

 

 

もとから、効率という概念は、自分の人生にはかけ離れたものでした。中高と、スマホなし、塾なしで勉強をしていた私は、授業中も内職をして塾(予備校)の分厚いテキストをやって、そしてスマホも息抜きに上手に使って、、、というような「効率化」を求める必要が一切ありませんでした。

 

でもそれは、私の生き方に非常に会っていたようでした。勉強はうまくいっていましたし、人間関係も充実していました。地道に生きるのが良かった。

 

 

 

大学になってちょくちょく参加していたボランティア。

ふとしたきっかけで始めて、何回か平役員として参加したのち、3回目くらいで「リーダーになってみないか」と、役職へのお誘いがありました。「前回までの熱いそすうくんの行動を見て、そすうくんなら任せてもいいかなと思って!」といった文面でした。素直に嬉しいのは嬉しいし、特に断る理由はなかったので、そのまま引き受けました。

本番もやりとげました。何とかね。

 

でもそのあとのこと。

判明してしまったのです。

 

新しい別のリーダーを探そういうことになったとき、私をリーダーに誘ってくれた先輩が、やはり動いてくれました。「私、いろいろ誘ってみるね!」と。ありがたいねと思っていました。

でもふたを開けて、「どんな風にして誘えばいいんやろ??」と思って先輩に聞いてみると、、、

スマホに提示されたのは、「〇〇くん、この前はありがとう!実は、○○くんにお願いがあって、、、リーダーをやってくれないかな??この前の○○くんの話を聞いて、とっても熱いなと思って!○○くんなら任せてもいいかなと思って!」という文面でした。

 

私に送られてきた文面と、ほぼ似たような内容で、名前だけが空欄になっている文章です。

そうです、コピペだったんです。

 

社会も効率化も何も知らない当時の私には、むちゃくちゃショックでした。

エゴなのでしょうが。

効率化を求めた結果、「全員に響くっぽい言葉」をテンプレ化して、それをバラまいてただけだということに。そして、それを、尊敬できるはずの先輩が、何のためらいもなく行ってしまっているということに。人を動かせるだけの力を持った言葉を、何の力も感情も込めずに、ボタン一つでそこに実現させてしまえるということ。

 

 

 

そこから、「コピペ」による「効率化」は非人道的なように思えてしまいました。

課題とかではいくらでも使いますし、作業ではむしろいいでしょうが。それを人に向けてしかもばれないように使ってしまうというのは、その人の個性を殺して無視してしまう、残酷なことではないかと。

 

そんな風に思ってしまいました。

 

 

 

だからなおさら、「効率化を目指すよりも、その人のことをちゃんと見てあげたい。じっくりゆっくりしか道はないけど、大多数ではなくて、その人に届くことをしてみたい」と思うようになりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

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ちょっと文章下手すぎるな

 

言いたいことは伝われ

 

また更新します。ほなまた!!

( ノ ゚ー゚)ノ

 

 

 

 

 

 

もう眠いそすう