お昼に見たニュース。「親ガチャ」という言葉について

どーーーもどーも。

こんにちは。こんばんは。おはようございます。

7327Mです。ヤフー知恵袋でも7327Mです。

 

 

 

 

日夜膨大な情報が飛び交うこの時代、色々大変ですよね。

 

 

その中でも、何故かわからないけど心に住み着いて離れない情報って、ありません??

 

 

なんということもない友達の発言とか、電車の隣の席で話す男子高生の会話からとか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あるいは、お昼に見たニュースの内容とか。(ありますよね、ね。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日お昼に某”中世の海賊”の情報番組を見ていたんですが。

 

 

そこで流れていたのが、「親ガチャ」という言葉についての議論。

 

 

 

皆さんは聞いたことありますか??「親ガチャ」

 

 

若者が作ったいわゆる”若者言葉”だそうで、最近流行ってるらしいです。

 

 

 

 

 

 

大学一回生ですがすべて伝聞です。笑笑

マジでお初にお耳にかかりました。笑笑

 

 

 

 

 

意味としては、親のどうこうってのはガチャみたいなもんで、自分たちでは決められず、ただ与えられたものをそのまま受け取るしかないってことだそう。

 

だから”当たりはずれ”もあって、不平等というか、生まれたところからの絶対的な格差が生じているって言う考え。

 

 

 

 

 

皆さんはこれを聞いてどう思いましたか??

 

 

 

 

 

私はですね(即自分語り)、怒りを覚えました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もしかしたら読者様の中にも怒りを覚えたという方がいるかもしれません。

 

テレビでも親世代を中心とした”怒りの声”がたくさん届いていました。

 

「親を何だと思っている。モノじゃないんやぞ」

「苦労して育ててきた我が子がそう言っていると考えると悲しい」

「親に対して余りに無責任すぎる。感謝が足りていない」

 

etc...

 

 

 

 

 

ですが、私の感じた”怒り”はそういうものとは全く方向が違います。

 

 

 

いや、もちろん彼らの言っている怒りはわかりますよ。頭では。

倫理的にどうなのかなとも思います。

 

そして、彼らとは逆に「別にいいんじゃね」というスタンスをとる人たちの言い分も全く持ってわかります。格差が生じてしまうのは今のところ否定しようのない事実ですから。

 

 

 

 

 

でも、私が問題だと感じたのはそこではない。

 

 

 

私が問題だと感じたのは、

 

1.「親ガチャ」という言葉に託してしか、哲学的な議題が考えられることのない現状

2.議論を見世物かのように、何かの競争かのように紹介して、問題提起を超えて短絡的な解決を試みようとする姿勢

 

・・・だと思います。(自分の事ですが自信ないです笑笑)

 

 

 

この時点で、「このブロガーさんめんどくさそう何言ってんだ」と思った人、いると思います。

 

一つだけ言いたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

あなたは何も間違っていない。笑笑

 

 

 

 

 

 

 

 

こんなめんどくさいことを書いていくのがこのブログです。

 

ついて来ようと思える人だけ読み進めてください笑笑

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さてさて、まずは1.の、哲学的な議題が考えられることのない現状について。

 

 

 

哲学的な議題って言いましたが、まぁ要するに心や思想・生き方に関わる問題ってことです。

 

人間の存在価値

人類の存在意義

何を目的にして生きるのか

人生で最も大切なことは何か

普通とは

最高・最良・最善とは

より良い人間関係について

 

そんな事々です。心理学らへんのお話。

 

 

 

これは完全に個人的な意見になるのですが、この分野って、万人に共通して万人が悩める、つまりは人間の本質的な部分だと思うんですね。

しかも多分一生かかっても答えの出ないほどの壮大な問題。

 

特に人間関係なんかはそうでしょう??

 

 

 

 

だから、そうであるから、本当はみんな必死に考えなければならない分野やと思うんです。こと人間関係に関しては。

 

 

 

 

自分の価値観とか、友達との付き合い方とか、”本当の仲間”を見つけるときとか。

 

絶対に必要になってくると思うんですよね。

 

 

 

 

古代ローマでは、奴隷を労働力として扱い時間を持て余していた多様な人々が、上記の議題について広場に集まって話し合いました。

 

当時は一番必要であったからです。

 

特に身に着けつけなければならない知識や技能も現代ほど多くはなく、今ほど暇をつぶせる娯楽もあふれかえっていたわけではなかったので、議論が一つの娯楽として成立していました。

 

 

 

 

 

 

それほど重要であるはず・人間にとって本質的であるはずの哲学的な考察が、こういった機会でないとなされない状況、そしてその結果出てきた考察の浅はかさ。

 

 

 

 

 

これはいかがなものかと思うわけです。

 

 

 

本当はもっと、もっとたくさんの人に、もっと本気で、もっと長いこと考えてほしい。

 

 

私の過度な欲望に過ぎませんかね。。。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さてさて。

 

次は、二つ目に挙げた、哲学的な議題に対する短絡的で安直な姿勢について。

 

 

 

 

 

 

 

 

先ほども書いて通り、哲学的な議題ってのは、一生かかっても意味を見出せないものものです。

 

 

 

大人になっても幸福って何なのかはわかりません

 

大人になっても「賢い」ってのがどういうことなのかは分かりません

 

自分のことでいうと、大学生になっても将来の夢は見つかりません。そんな人も世の中に入る。

 

 

 

 

 

私がこんな悠長に「夢が見つかってない」と言っているのは、まぁ実際見つかっていないのももちろんありますがそれよりも、見つかったとて本当に最善かどうかはわからないことが強く影響しています。

 

 

 

今夢を持っている人に問いかけたい。

 

 

 

 

 

その夢は、本当に一番上・最善の生き方でしょうか??

 

 

 

 

 

んまぁ話題それたので戻しますが

 

 

そんな感じで、本当の事なんてだれにもわかりやしません。

 

 

ましてや、この家に生まれてきたという事実をどのように評価すればいいかなんて。

 

 

 

お金持ちの家に生まれたから幸せでしょうか??

貧乏に生まれたら地獄行き決定でしょうか??

 

 

 

 

違うとは、すみません、言えない。

 

 

 

 

 

でも同時に、「はいそうです」とも、言うことなどできません。

 

 

 

親をガチャでしか選べないのは馬鹿らしいことでしょうか。むなしいことでしょうか。悪いことでしょうか。

 

 

 

このブログを読んでくださっている皆さんには是非、人生を通して考えていただきたい。

 

 

決して、有象無象の情報の、たった一隅の情報として、投げやりに扱ってもらいたくはありません。

「んまぁこういうことが問題になっています。親に対して失礼ですよね。言ってる気持ちも分かりますが」なんて言葉で毛で片づけてもらいたくはない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さてさて。さすがに長いと思うので(笑)、締めです。

 

 

 

 

 

 

 

 

私自身は、親ガチャ論者でいうところの「あたり」です。引き当てています。

 

 

 

 

家庭の収入は全国平均より上ではありますし(まぁ自分が稼いでるわけではないですが)、ネグレクトも虐待もありませんでした。

 

私の親自身の人付き合いとか、人や仕事に対して真面目な部分は、私からしてもめちゃくちゃ誇れます。絶対に「できた」人です。

 

 

 

 

 

 

 

 

親の前ではこんなこと絶対に言えませんね。笑笑

恥ずかしすぎます。

家では一応クールキャラ担当なので。笑笑

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

んじゃぁそんな素晴らしい尊敬できる両親のもとに生まれた私はというと

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自己評価がかなり低いです

運動??できませんね

ろくに家事の手伝いもしない

大学入って授業の課題めんどくさいって言って単位一つ落としてる

夏休みの”目標”は有言不実行

 

 

 

こんな感じ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さぁ問題です。

 

 

私という存在は「あたり」でしょうか??

 

 

 

 

 

7327M