自殺をするということ

あまりにも直接的な表現でごめんなさい´д` ;

気軽に書くべきことではないのだけれど。だからこそ、考えの軽いうちに書かなければ、溜まってしまいそうで。

 

自殺をするということについて、最近何故か考えることが多い。

 

また自殺をしたいというわけではなくて!安心して下さいね。決してそうではなくて。

 

自殺をするということそのものについて、考えることが多い。

 

 

 

こんにちは、こんばんは、おはようございます✨o(^_-)O

 

"そすう"と申します(_ _).。o○

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なぜか最近、自殺した芸能人に関する話をすることが多い。それも、全く別の人との会話で。あの人との会話の中で考えていたことが、別の人との会話の中でもまたフラッシュバックしてきたり。テレビで見た情報が、翌日また目に入ってくるみたいな感覚。こういうのって、自分自身がアンテナを無意識に立ててしまっているっていう説明以上に、引き寄せの法則的な、似た概念や考えが自分の周りに集まってくるって説明の方が、個人的には好き。実際、デジャブな思考というのは結構多い。それが何故か最近では、自殺した芸能人のことについて、というだけ。

 

 

 

自殺について会話してある訳ではない。それぞれの文脈の中で、「こんな芸能人いたよね」「あの人面白いよね」という、まだ生きているころの芸能人について話しているだけ。

ケツメイシ(という音楽アーティスト)の話をしている時に、「上島竜兵のMVが好き」という話をしたり。最近の若者は、、、という話をしているときに、「きっかけは、あれだよね。りゅうちぇるとか藤田ニコルとかかなー」という話をしたり。あるいは、三浦春馬に関するブロガーさんの文章を読んだり、ZARD「負けないで」を聴きながらボーカルの坂井さんを思い浮かべたり。

上島竜兵、りゅうちぇる三浦春馬坂井泉水。全員、自殺してしまった芸能人。「あの人面白かったなー」という話でワイワイ盛り上がりながら、私の頭の中では、「自殺した人、やなぁ。自殺かぁ。。。」とか考えてる。

 

 

 

ケツメイシ「友よ 〜 この先もずっと…」 - YouTube

 

 

 

一括りにするのは大変失礼なことは承知の上で。メディアの伝え方もあったのだろうが、彼らには共通点がある。それは、「まさか」であり、「唐突」であったということ。大ファンで普段から追っかけをしているという人からしたらそうではないかもしれない。でも、「みんな名前知ってるし、なんか楽しそうにテレビに映っている人」くらいの認識であった大多数の一般人にとっては、こういった芸能人の死というものは、あまりにも突然で、意表を食らったような感覚に陥ったことだろう。個人的な好き嫌いはあれど。あのおちゃらけた芸人が。アンチにも強く対抗できる人が。爽やかで何事もそつなく軽くこなせそうなあの人が。「負けないで」と歌うあの人が。失礼は承知で、いやしかしメディアはしっかりこう報じていただろう。「何で??」と。

 

 

 

テレビで散々報道された。あの人との関係が悪くなった、だの、こういう不安があった、だの、病気がちであった、だの。じゃあ読者の皆さんに聞きたい。それぞれの人が、どんな理由で、そしてどんな思いで、自殺に至ったのか、覚えている人はいますか??と。あれだけ報道されていたんですよ??新聞の一面を飾っていたんですよ??覚えていないはずが、、、、、、ないはずなのですが。どうしてこうも思い出せないのでしょう。私だけかな??私は思ったより他人に興味がないから覚えられないだけかもしれない。少なくとも私は、納得のいく理由を特に覚えてはいない。「旧友を失ったから、自分も死んだ」え、何で??「流石に耐えきれなくなったから、死んだ」え、何で??あれだけ耐えてて、胸を張って生きてて、結局ダメなん??リミットってだけ??それともなんか大きなきっかけがあったん??全然分からない。

 

 

 

「負けないで」Music Video - YouTube

 

 

 

死ぬ理由は人それぞれ。だって、何をどう思うかは人それぞれだもん。旧友が居なくなった、、、というのは大きなショックになり得るのだろう。私にはまだあんまり分からないけど。家族ならともかく。家族同然とはいえ、所詮は他人。しかしそれでも、悲しむ気持ちは分かる。想像は出来る。だからみんな、納得する。「なるほど、私には分からないけど、それが本人にとって相当大きかったんやね」「本人は頑張ってたんやろうね。大変やったやろうね。」「あーーー、かわいそうに」どこか、他人事ではないか??とりあえず納得できたら、それで良い。自分自身の感情として追体験できなくとも、一般的な感覚で説明がつくようであれば、説明が出来るようであれば、それでいい。少なくともメディアとは、そういうもの。涙こそ出れど、その事実を知ったところで、その報道を見たところで、大多数の人の人生は変わらない。だって、あくまで一般的な事象を理解しただけだから。「その人の中では、そういうことだったんだね」と納得しただけだから。自分自身が、何か大きな体験をした訳ではないから。「そういう人」という勝手な解釈でことは収まっていく。

 

 

 

自分勝手なんだよな、と思う。人間はどこまでいっても自分勝手だ。もちろん私も自分勝手だ。自分の中でそれらしい納得がついたら、もうそれに需要はない。期待もない。本人に聞こうとはしない。それを話題にしようともしない。

 

 

 

 

 

 

 

 

自殺した芸能人の話をするとき、その話題は常に、「生きていた時の芸能人」の話。なぜか、自殺したことに関してはあんまり触れる人はいない。タブーだから??言いにくいから??ちょっとあんまり分からんけど。タブーって、そういうテープを貼っているだけじゃないかと思う。生死の価値観や宗教、政治や家族関係については初対面で話すことはタブーだと言われる。本人の大きな価値観だからね。でも、ある程度気心知れた仲間なら、話すことはあってもいいんじゃないかと思う。そしてそれを話すときには、「タブー」みたいなテープは剥がしておくべきだと思う。だってそれは、初対面の時専用のテープ。気心知れた仲間なら、もはやタブーも何もないだろう??

 

 

 

もっと話すべきだと思う、ということではない。が、それらについて話をすることを「タブーだ」「不謹慎だ」といって、見ないようにする/考えないようにするのはどうかとともう。確かに見ない/考えない方が楽であるけどさ。毎日考える方が気が滅入るのはそうだろうけどさ。タブーであるのは、それがとっても大事だからこそ。それが、その本人を理解する上で重要な情報であるからこそ。であれば、むしろ知ろうとする方が自然なんじゃないのかな??と思ってしまう。芸能人の自殺だって、結局はその人のことを全く知らないから、一般的な結論でとどまってしまう。もう少し踏み込んでみて、「ああ、そういうことか。自分と同じだな」って、相手の本質を知ろうとすることは、ダメなことなのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここまでお読みいただき、ありがとうございました!
大学生の"そすう"でした!

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今日は何だかたくさんブログを書きたい日✴︎

 



ではでは。

また更新します✨

 

 

 

 

 

 

我ながらねっとりとした文章だなと、歯切れの悪さを実感するそすう