政治の話と知性の話と職業のお話

今とっても気分が良いです。

何故なら、ワインを飲んだから!!

いうて3杯くらいですけどね。

 

妹と母が、お酒に強いのです。。。

3人で、ワイン一本を空かしてしまいました。

 

でもうまいね~~~ワインは。

ワインの資格をいつか取ろうと思います。

 

 

 

こんにちは、こんばんは、おはようございます✨(´-`).。oO

 

”そすう”でございます!☻

 

 

 

 

 

 

 

 

 

衆院選がもう間近ですね。

 

先に宣言(?)しておきますが、私は投票はしません。

 

その理由とか??そういったことについてお話しできればいいなと思います。

世の中では絶賛選挙に行こうキャンペーンが流行していますが、それに真っ向から反旗を翻す形ですね!つっても大儀などありません。言論の自由を悪いように使っている愚衆の一人として、読んで頂ければ幸いです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

政治に関して、全くの無関心という事ではありません。

ここ数週間においては、新聞を読む習慣を少しづつつけています。そこで必ず読むのが、政治の部分。分からないことだらけではありますが、石破さんが首相になったことで株価にも多少影響を与えるなど、私たちとはどうあがいても切っても切れない関係性にあります。大事だと思います。

今日は、たまたま駅でやっていた地元での街頭演説を聞いてきました。15分くらいでしたし、横で目つむりながら聞いていただけですけどね。終わり際に「聞いてくれてありがとう」みたいに候補者様直々にお声がけいただきました。嬉しかったね。

 

 

 

 

 

でも、選挙には、行きません。

 

おじいちゃんにも、母にも、中高時代の恩師にも、それから敬愛するブロガーさんにも、「選挙に行きなさい」と言われている状況ではありますが、選挙には行きません。

 

 

 

 

 

 

 

 

自分のことで精いっぱいだからです。

自分のことというとあれですけど。社会全体をよくしていこう!みたいなそこまで広い考えは持てないのです。

 

私が一番大事にしているのは、他ならぬ自分自身です。自分自身さえ幸せに暮らせていれば、それで良いと思っています。

でもそのためには、周囲の人といい関係を築いていることが必須の条件です。なので、友達とも最大限仲良くします。友達は多い方だと思う。

ですがそれ以上の輪となると。。。例えば、職場という環境であったり、あるいは地域という輪であったり、もっと広く、日本国全体という目で見れば。

私はそこまで考えられる目と知識と野心は、あいにく持ち合わせてはいません。

自分さえよければいいのです。自分の周りさえ幸せであればそれで良いのです。

 

 

 

「自分の周り、例えば職場が良い環境であるためには、政府を主導とする良い社会が必要だろう」

そういう反論はあると思います。私もそう思います。

 

でも、私の場合というだけではありますが、私は、ある程度の範囲であれば、どのような環境でも生きていけると思うんですよね。

私の思い描く理想図は、私と、周囲の友達にしか開かれていません。それ以上がどうなろうが、多分、生きていける。

私は、留年が確定するほどボロボロに単位を落としています。でも、同回生ともうまくやっていますし、下級生とも、上手くやっています。

アメリカに行きました。アメリカではアメリカらしく、自分でコミュニケーションを図る態度を前面に押し出して、充実した経験になったと思います。身体的な面でも、時差ボケとかの不都合は一切出ませんでした。適応出来ました。

 

私の場合は、という話にはなりますが、全体が大きくどう変わろうが、生きていけると思っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日、本を読んでいました。

「武器になる哲学」という本です、読み終えたらまた後日記録でも残そうと思います。

それの冒頭で、こんな言葉がありました。

 

「これまでに人類が繰り返してきた悲劇を、私たちは今後も繰り返していくことになるのか、あるいはそこで払った高い授業料を生かし、より高い水準の知性を発揮する人類、いわばニュータイプとして生きていけるかどうかは、過去の悲劇をもとにして得られた教訓を、どれだけ学び取れるかにかかっていると、私は固く信じています。」

 

この中で、「高い知性」という部分が非常に気にかかりました。悪い意味でね。

 

 

 

「知性」に、高いも低いもあるのでしょうか??

 

分かりやすい話、「ホワイトカラー」と「ブルーカラー」みたいな話です。

ホワイトカラーは、管理者とか、IT系の人とか教授とか、そういう社会の枠組み全体を作っていく人。

ブルーカラー」は肉体労働やオフィスワークなど、細々とした業務を実際に行う人という認識でいきましょう。

 

多くの場合、「ホワイトカラー」の方が何かと優遇されます。お金の面でも、福利厚生の面でも、社会的評価という面でも。

では、「ブルーカラー」は、ダメなのでしょうか。「知性」や「社会性」という視点で見た時、低いのでしょうか。

そんなことは無いでしょう。

コロナ禍を通じて、オンラインで注文した商品をバイクで届ける「エッセンシャルワーカー」が注目を浴びたように、「細々とした業務を行う人」にも、それ相応の知識とスキルと社会的な立ち位置があると思います。

 

 

 

 

 

 

 

「ホワイトカラー」は、社会の枠組みを作るというのですから、まさに政治家と言えるでしょうか。

政治を大きく動かすこと。政治に参加すること。国としての方策を決めること。こんな社会になれば良いなと願う事。

それはそれで良いのです。実際、各政党のアピールポイントを見れば、「そりゃ良いな!」って思うものばっかりですもん。

 

でも、視点ってやつです。

 

あれも良いし、これもいいし、、、。ってなってると結局、選びきれませんよね。

 

その時に大事なのが、「視点」です。

 

「細々とした業務」にとって、自分にとって、少しでもいいと思えるような、そんな社会になれば良いなと思います、そんな政党があれば良いなと思います。

 

でも今ところ、そんな政党は見つかっていません!!

「おっ、それはいいな。なるほど、これもいいな!」

そればっかりで、結局軸というものが定まりません。

 

定められるだけの大義があれば良いのですが。お生憎様。

「哲学党」とか「対話党」とかあれば、迷わず投票しますがね笑笑

 

 

 

 

 

 

 

でもじゃぁ、そこまでの大義を持つ人って、どれくらいいるのでしょう??

 

 

私の母やおじいちゃんの口癖はこうです。

「若い人は、とりあえず自民に入れとけばいいんよ」

 

そんなことがあって良いのでしょうか??

 

 

 

演説も聞かず、ろくに人となりも分からず、「とりあえず」とか「なんかこの正統派怪しいから・・・」なんてあいまいな理由で、根拠なきイメージで、政党というものが選ばれてしまっていいのでしょうか??

少なくとも私はそれに関しては、ダメだろと思うわけです。

 

 

 

やるなら、徹底的に。

 

ちゃんとそれぞれの政党の色を知って、演説や国会議事録でも読んで、候補者一人一人の人となりを知って。

そこから初めて、選ぶという土俵に立てるのではないでしょうか。

 

よう分かってないまま投票してしまうのは、それこそ外面的なイメージの踊らされた、悪い方の投票の仕方であると思います。

 

 

ちゃんと勉強すればいいのです、知れば良いのです。

でも今私の現状では、時間も知識も自分の軸も、足りていません。なので、投票しません。

 

 

 

 

 

 

自分のことで精いっぱいなのです。

自分の環境さえ何とか安泰であれば、それで良いのです。

自分の理想を、社会全体に作ろうとは思えません。

 

 

 

 

 

 

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( ノ ゚ー゚)ノ

 

 

 

そんなことよりも来週から始める教育実習の方が大事なそすう