こんにちは。こんばんは。おはようございます。
とあるブロガーこと7327Mです。
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ブログ閲覧数が100を突破しました!!
ようやくかよ。
「毎日書く」
という目標を掲げて書いたブログを3か月前も、1週間前も書いた結果、
3.4日に一回の頻度で投稿することに成功しています。
全く更新しないわけじゃないので、気長に読んでいてもらえると嬉しいです。
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では。
今日も今日とて、私の所属する大学の集中講義中に考えていたこと。
当方私わたくしの所属は教育系の学部なので、この夏休み期間に行われる集中講義の一つとして、「教育経営学」という授業をとって受講していたわけなんですけれども。
その授業内で本日扱った内容から少しばかりの雑念が。
先回りして言っておくと、本日のブログのキーワードは、「ヴィジョン」
将来やりたいことが見つからない人にも読んでもらいたいです。伝わるかどうか自信ないけど。
さてさて。
本日の授業の内容は、校則や、学校ごとの教育目標に関すること。
「髪の毛は染めてはいけない」
「服装は中学生らしいものでなければならない」
「他者の気持ちを理解できる人間を育てる」
とか言った文言の深堀りです。
それに関するVTRを視聴しまして。
そのVTRで取材の対象となったのは、都内有数のお金持ち公立中学校と、地方にあるまた別の中学校。
失礼ながらもっとも単純な図式として、裕福vs貧乏という分かりやすい対立の構図です。
立地だけでそう考えるのはいささか失礼でしょうが、どうやら実際に対比させられるくらいの差異はあるよう。
んでんで
面白かったのは、
二つの学校で校則が似たり寄ったりであること。
同じような校則が並んでいたこと。
でもでもさらに面白いのが、
その校則を学校側が盛り込んだ際の、その”目的”が全く異なっていること。
同じ文言でも、全く違う目的・作用・意味を有しているわけです!
例えば「髪を染めてはいけない」という文言。
この時点で賛否を呼ぶ校則ではあるのですが。
お金持ち公立中学校の場合は、少々生徒が荒れてヤンキーっぽくなっていた時代があったがゆえに、生徒指導、一からの積み上げの第一歩として書かれたもの。
一方地方中学校の場合は、だれもそんなことをする人はいなかったけど、書いておくことで「当たり前のことを当たり前にする」という精神を育てるために書かれたもの。
つまり、前者の場合は改革の一つとしてのカラー禁止であるのに対し、後者の場合は、日常の内の一つにすぎないのです。
同じような文言であっても、それの目指す目的。効果・意味は異なっている。
こんなことが分かります。
もう一つハッとした例。
同じ授業内なんですが。
今度はまた別のVTRで、こっちのVTRは、学校改革に関するもの。
とある都内の中学校で、中間テスト・期末テストを廃止したり自習の時間で塾の宿題をやることを許可するなど、革新的な改革を成し遂げたみたい。
「それに関して考えたことを書きなさい」とかいう何万回もやらされた形骸的甚だしい素晴らしいワークをやったのですが、
その質問に関して、学生と教授とのこんな問答がありました。
生徒「改革はすごいと思ったけど、これは、この学校に通う生徒がある程度裕福であるという前提に立っているのではないか」
教授「えぇ、そうね。 アナタの言う通りだわ・・・/// 同じ改革を他の学校で同じように実施しても、同じ結果になるとは限らない・・・!! よく気付いたわ,,,,,,,,っ」
※教授へのエロミステリアス補正かかってます
この会話でビビビッと来てしまいました。
授業中にビビビッと来てしまった結果殴り書きしてしまった、実際のノートの言葉を、そのままここに写して記しておきます。
地域や学校の現状次第で、改善の手順や方法・ヴィジョンの方針や内容はバチバチに変わるはず!!
やからこそ、自分たちでヴィジョンを作り出していくことが大事!!
AもBもCもDも大事・・・なのはそうやけど、じゃぁ自分たちは??自分たちの現状は??周囲の状況は??周囲のレベルは??使えるものは??ってのを考えると・・・
なんかヴィジョンが見えてくるのかも。
街中の広告にある美辞麗句も、自分の思ってるのとは別の意味があるのかも・・・
授業を超越してこんなことを考えてしまいました。
まぁ。授業より大事な人生の話なんでね・・・多少はネ・・・
同じ言葉でも同じような意味・効果・目的があるわけではない。
別の目的や効果が存在しているかもしれない。
でもそれは、表だけ見ていても分からない。
文言だけぼー--っと眺めていても、目的なんてものは一死分からない。
本質の部分、核心の部分を見ようとしなければ、すべて同じ言葉に聞こえる。形骸的だと思ってしまう。
なら、その本質を見ようとすれば・・・。
周囲の状況を考えて「なぜそうなったのか」をしっかりと把握することが出来たなら。
それはもう、素晴らしいことではないでしょうか。
やりたいことが見つからない人は、今の自分の現状をしっかりと把握する。
世の中、色々大事なことや輝いて見えることは本当にたくさんあるけど、「自分にとって」「自分が意味を見出せるものは」何かということを考えてみる。
最終的にはありきたりな言葉になってしまうかもしれない。
オリジナル感を出そうとしても二番煎じになってしまうかもしれない。
でも、そこに自分なりに込めた意味、自分だけが見出すことのできる価値・基準を設けてあげれば、それは自分の”夢”と呼ぶにふさわしいのではないか????
目標が出来た、と声を高らかに言うことが出来るのではないか????
※ここまですべて、授業中に考えていたことです
授業は楽しく受講させていただきました。
何から何まで”オリジナル”やら”自分で一から作り上げる”でなくてもいいんじゃないかな。
そっちの方がかっこよくはあるが。
以上。終わり。
私とはもちろん異なる感性を持つ読者様には、このブログからどんなことを考えたのでしょうか。
”オリジナル”なことを考え着いたのでしょうかね・・・??
7327M
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p.s. 追記 後述
自分でもどうしてこんなことを考えてしまうのだろうと、ブログ書きながら疑問に思ってしまった(aho)ので、最期に少しだけ。
本を一冊だけ紹介して終わります。
授業中にここまでめんどくさいことを考えることが出来るのは、自分の中で、具体⇔抽象のレベルの上げ下げが感度バグってるからやと思います。
あらゆる物事をいちいち一般化して捉えてまう。
良い癖でも悪い癖でもあるんですが。
そんな自分に寄与してしまった本を一冊紹介。
前田裕二著「メモの魔力」
このブログ、ここまででもう2500字かいてて読者もお疲れだと思うので、
手短に一点のポイントだけ。
ここに描かれている大事な考え方の一つが、
「ファクト→抽象化→転用」
という一連の流れ。
「ファクト」は”事実”という訳語そのままに、何かの事実や経験に触れて味わうこと。
本当に何でもいい。些細なことでもいい。
「抽象化」とは、そこで得た考えや知識を一般化して、他の考えにもつなげられるようにすること。
別の言葉で言うと、曖昧な言葉で本質を言い表してみること。
例)クロワッサン(ファクト・具体)→パン(一般、抽象化)
「転用」とは、それを別の考えにつなげたり、新しい考えを生み出すこと。
「抽象化」してできた言葉からの連想とでもいえばいいのかな。
例)クロワッサン→パン(一般)→ベーグル/欧米式/食べ物/キリスト/etc・・・(関連事項、転用)
私のような人間であれば、あらゆる物事を一般化して、それを自分の人生経験と照らして考えたり、有名な哲学者の言葉や考えを思い出してみたりする。
このような思考の流れがスムーズにできれば、日常の些細な物事からも、こんな風なブログを書くことが出来ますよというお話。
憧れるか忌み嫌うかは読者様次第ですが笑笑
最後の最後で自分頭いいですよオーラ出してしまい、申し訳ない。
頭良くなりたいのでオーラくらい醸し出させてください。(おい)
もうお疲れですよね笑笑
ここまで読んだ読者様、3300文字到達です。おめでとうございます。
ではでは。
明日こそ連続投稿できそうです。(白目)
7327M