類型化/統計/レッテル/表面的/対多数→グラデーション

”類型化”が嫌いだ。

 

この学年は、こう。このクラスは、こう。

この地域の人は、こう。

アメリカ人は、日本人は、こう。

 

 

 

ん~~~

”日本人は、大人しい”みたいなのって、分からなくはない。

他の類型化された言葉も、それと似たようなもので、ある程度は本質をついているのかもしれない。

だとしても。

だとしても、違うと思う。

 

大人しい??社会的に見ればそうってだけで、仲良くなれば熱い思い語ってくれるし、何より、ごく一部の”天才””完璧人間””超人”みたいに言われる人以外は、大体みんな総じて同じ程度の人間です。強みと弱みをみんな持ってる。その強みと弱みの種類が異なっているだけ・・・。変わりません。だからこそ完璧超人たちは意味わからんと私は思うのですが・・・

 

 

 

類型化と似たようなものとして、統計/表面的/対多数/レッテルという言葉があげられる。

こういうものに、総じて苦手意識があると感じた。

まとめて言われてしまうこと。自分自身が、とても嫌だ。

 

 

 

”○○人は、こういう性質”みたいな大きな潮流というのは、国単位で、行政単位であるのだろうが、

しかしそういった建前を凌駕するほど、個人の個性や違いというものは大きいと思う。

 

何もかもグラデーション。

 

 

 

 

 

 

不登校は30万人だと、統計データは発表している。

しかしここでいう”不登校”とは、30日以上欠席した児童生徒、というカテゴライズのようで。

30日に満たない、29日とか20日とかの欠席者は、不登校にはならずに、”長期欠席者”に区分され、そのデータには含まれないとのこと。

30日になった瞬間に、消費期限みたいに、もう用済みになってしまうのか。29日まではギリギリセーフで、考えなくてもいいのか。

 

 

 

そんなお話を、今日、聞いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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人間は、自分と似たような考えばかりを目に見て、覚えているものです。

 

また更新します。ほなまた!!

( ノ ゚ー゚)ノ

 

 

 

 

自分自身を戒め続けなければならないそすう