何回もサシ飲みした友人にすら、”自分からは”声をかけられない

一週間ぶりのブログになります。

一週間書かないのは、流石に久しぶりの感覚です。

 

 

 

 

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いや言うて二週間前も一週間弱空いてますわ。

何やこのブログ。

 

 

 

 

 

 

 

こんにちは、こんばんは、おはようございます👦

 

”そすう”でございます👧

 

 

 

 

 

 

 

 

 

親友の数は、周りと比較しても、多い、と思っている。

 

そすう的な親友の定義は、「帰り道の20-30分くらいの道中を、全く気まずい気持ちにならずに帰れる友人」というものである。自分の中での定義なので、軽っっwwwて思う方が大半かも知れないが。友人も、親友も、多い方であると思う。

 

そしてその”親友”の子たちとは、よくサシ飲みに行く。二人で、遊び、食べる。一週間のうち1-2日、一か月で5回以上は、サシ飲みの機会がある。全然別の人、全然別のコミュニティで、それぞれ。

 

99%男ですが。女の子の親友欲しいんですが。今日の主題はそこではなく。

 

問題は、そのサシ飲みはもれなく全て、「相手から誘ってもらった」ということ。

自分から誘ったことは、本当の本当に数えるほどしかない。1.2回。思い出せるもん。

会話の流れで、「おうっ行こうや、ここ」となるのは相手が言ってくれることだし、LINEで唐突に「ここ行こう」って言うのも、やはり相手。

自分から誘ったことは本当にない。

 

 

 

数日前かな。誘おうと思ったんですよ。親友の一人を。

教育実習終わって、お互いの就活の話をちょくちょくしていて、「大学終わっても付き合っていきたいって思えるのは限られてる。そすうはその一人」って”言ってくれる”男の子を。

 

でも、出来なかった。誘えなかった。LINEのトーク画面までは確かに開いたのに。文字が打てなかった。

 

躊躇した。

 

 

 

 

 

 

 

 

何故?????

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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恐らく自分は、「遊びに行きたい」とは思っていないのではないか、というのが今のところの結論である。

もう少し深ぼってみよう。

 

正確には、遊びに行きたいと、思ってはいる。思ってはいる。心の中でどうしようかと迷ってもいるし、実際遊びに行ったら気まずく何か全くないし、百発百中で楽しいし。そんなことは誘う前から確定していること。

 

しかし、本当に遊びに行きたいと思っているわけではない。

 

 

 

 

 

自分が望むのは、「遊びに行くこと」ではなく、「友人と遊びに行くという、理想の自分像をトレースすること」である。

自分が望むのは、「親友と多く遊ぶこと」ではなく、「親友を多く持っているという、理想の自分像をトレースすること」である。

自分が望むのは、「相手を楽しませること」ではなく、「相手を楽しませている、理想の自分自身をトレースすること」」である。

 

 

結局のところ、私は私の理想像に生きたいだけではないか。

そこには一切の他者の概念が存在していないのではないか。

 

 

 

そんなことを想う。

 

 

 

 

 

私の理想像は、「友人と遊ぶこと」や「すべての友人を大切にすること」も含んでいる。しかし同時に、「自分一人で遊ぶこと」「すべての友人を大切にできるわけではないこと」という目標・心情も含まれている。

 

要するに、私はすべての性質を具えた完璧超人でありたいと願っているのだ。

 

 

友人との時間を大切にし、友人から好かれ、友人と良く遊びに行きながら、

自分の時間も大切にし、自分一人の軸で生き、自分一人の趣味を追い詰めながら、

読書をし、ブログを書き、ギターをやり、ピアノを弾いて。

小説を読み、自己啓発を読み、論文からさらには児童小説まで読んでみる。

皆でドライブも行くし、ソロドライブにも行く。

友人から好かれたい/絶対に嫌われたくないと思うし、嫌われようが構わない/どうしようもない/自分の知るところではないとも思う。

 

 

 

 

 

全ての要素の、すべての側面を、結局決めきれずに、全部背負いこもうとしている。

 

その結果、「理想の自分像を追い求めること」が目標になり、個々の、「友人と遊ぶこと」や「趣味に生きること」といった具体的行動は、目標を達成するための、道中/過程でしかなくなってしまう。

 

手段と目的ってやつですな。

 

あらゆる行動が、理想像と言う目的を達成/遂行するための手段になってしまっている。

(手段と目的、という二項対立は、正直何だか違う気もするのだけれど。今のところは、この言葉が一番わかりやすい。)

 

 

 

 

 

 

行動一つ一つは、本当にじぶんがやりたいことではないんですよね。

これをしたら、カッコいいカモ。これをしたら、得になるかも。

そんな損得勘定で考えてしまう。ほんで結局、得だろうが損だろうが全部人生の糧になるから全部やる。本気で楽しむ。盛り上がる。盛り上げる。

しかしそれは、自分の感情そのものをむき出しにしているわけではなく、「楽しむべき場」において「盛り上がる自分を大事」にし、同時に「盛り上げる」ことで友人の信頼を獲得し、良い人生に繋げる、という、およそその場で完結するとは思えない壮大な考えのもと、実行されることなのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆のように、「これがしたい」「あれがしたい」と、本当に素直で純粋な心で言えるようになりたいのです。

 

 

自分を特別視しているきらいがプンプンして嫌だけど・・・・・・

客観視を過度にやり過ぎている自負はあるので、それの延長線上かなと。思う所存です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ではでは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最後までお読みいただきありがとうございます! コメントやスターなど大歓迎です!気軽にどーぞ!

 

現役大学生がボチボチ更新・発信していきます どうか温かい目で見守りくださいませ。

 

最近寝れてません。

有効活用できない自分が悪いのですが。

寝れていないと、どうしてもマイナス思考になります。

 

また更新します。ほなまた!!

( ノ ゚ー゚)ノ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

結局相手の誘いを待つことに決めたそすう

 

 

 

 

 

 

 

 

予定合わなかったけど、当該の友人から先日、さっそく飲みのお誘いが来てしまったのです・・・。自分から言わずとも・・・。誘うかどうか迷っている間に・・・。

誘ってくれる友達に、ひたすらに甘えてしまいます。そすうを誘ってくれるだけのメリットや楽しさを感じている、ということになるので、こちらとしては嬉しい限りですが。