こんにちは。こんばんは。おはようございます。
とあるブロガーこと7327Mです。
そろそろこの挨拶書くのめんどくさくなってきました。脳死で書いてます。はい。
大学の課題で、論文を読むってことあるんですよね。
私はまだ大学一年ですが、もうすでに数多くの論文を読まされて読んできました。
文系なのでそれでも少ない方やとは思うんですけどね。
また、同じ学科の先輩から、卒論か何かのための材料として、アンケートに答えたりもしたりするわけです。
これが卒論の結果の一部になるのかと、いつもハラハラしながら回答してるんですけど。笑笑
そこで一つ疑問。
アンケートって手法は、学術的なデータの収集方法として適切なのか??
皆さん普通にアンケートってありますよね。街中とかでも。スーパーとかでも。
なんかね、、、
こう言っちゃうとなんですが、答えにくいアンケートってありませんか??笑笑
そうですね、例えば・・・
「あなたの理解度:0-100」
「あなたは今どのくらい幸せですか??」
「LGBTの人々は容認すべきか??」
とかとか。
前半二つについては、「理解」とか「幸せ」とかの言葉があやふや過ぎて、何をもって理解・幸せなのかが分かりませんよね。
統計的にはやはり典型的な、山なりのグラフで結果が出てくるとは思うんですけど、そのデータって元々があんまり信用できないと思います。
自分で自分の気持ちをはっきりと提示できる人なんてあんまりいないと思います。
最近先輩から提示されたアンケートもこの類のものでした。
「あなたは家族からどれくらい愛されてると思いますか??」
・・・知るかいな。
三つ目の、「LGBTの人々」の問いに関しては・・・
もうこれ、答えは「はい」で決まってますよね。笑笑
正直言って。
異論は受け付けますよ。異論は受け付けますけれども、
この質問をされた読者様のうち、いったい何人が「いいえ」と答えるでしょうか。
マイノリティに関する道徳的な認識の是非を言っているのではありません。
「いいえ」と答えたからどうこうとかではない。
社会から押し付けられる重圧・風潮に対して文句を言っているのです。
気に障った方がいましたら申し訳ありませんでした。
でもまぁとにかく、
今この時代でホットなワードに関しては、社会が”正解”を決めていて、大多数の国民はそれに追従してしまうのが現実やと思います。
「差別は??」 「だめ」
「優しさは??」 「最高」
「中国は??」 「いや」
「読書は??」 「ネットよりもいい」
もはやそこに、本人の意思や本人が自分で考え編み出した、独創性あふれる意見などはありません。
よって、アンケートに関しても、そのような話題について一般大多数に質問するのはもはや時間の無駄のようにすら思えてきます。
少数派側を研究してみるってんならまだいいかもしれませんが。
私情関係ない客観的な数値とかだったらいいんですが。
多数派はみな、一様です。画一化されています。
アンケートとっても仕方ないのでは??
ってことで結論は
いつかの「親ガチャ」にモノ申した際のブログにも書いたことですが、
いつのまにか人間全員が、「自分で考えること」を放棄してしまっていること、「どろくさくても答えが出なくても考え続けること」から逃げてしまっていること
これがあんまりよろしくないと思われるのです。
考えることをやめたら負けな哲学好きな私の主観は多少、あるいは相当入っているかもしれませんが。
皆さんはどう思われますでしょうか??
私も、この考えが的を射ているかどうか検討するために統計学に関する本でも読んでみなければ。
7327M